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*-6 戦う男

***  あの事件からさらに二日経った。出航してから五日目である。  嵐は静まり、海峡の航海も終わりに近づいていた。濃い朝霧が晴れていくと、水平線に陸地が見えて乗員たちは口々に安堵の言葉を吐いた。船旅は命がけとは聞いていたが、嵐のときの船員の対応も凄まじかったし、俺も強烈な船酔いを経験したし、もう航海はこりごりだと思った。  あれからカミュは安静にしていたが、次の日の夜には歩けるようになっていて、船についての蘊蓄を嫌というほど聞かされた。  魔力を動力源にしている船ならこの海峡を3日弱で渡航できるだの、今から500年以上前に魔力飛空艇が発明されたが改良段階で爆発事故ばかり起きて研究が中止されたこと、今なら応用技術により事故なく飛行できるはずだが、膨大な開発費のために誰も手を出さないことなど、俺にとってどうでもいいような情報を滔々と語っていた。  ただ、魔力で動く船なら3日程度で渡れて、その上船酔いも軽減できるという話を聞いて、それならまたドラコに行けるかもしれないと思った。船酔いがひどく海を渡れないからといって、かつていたところに二度と戻れないことに何かしらの心残りがあったのだ。  ——いずれまたドラコに戻る日が来るのだろうか?記憶を失った真相はドラコにこそあるのではないか?さらには俺の故郷はドラコ大陸のどこかにあるのではないか?  船尾の甲板でいろいろと考えあぐねていると、いつの間にか船長が上がってきていた。俺と並び立ち、自然を装って話しかけてくる。欄干に腕をかけて、結った赤髪の余り毛が風で顔の方に靡いているため表情はうかがえない。 「カミュ君の具合はどうかい?」 「おかげさまで」  多少熱は出たが、もう快方に向かっている。船長の言により、船医に診てもらい薬まで処方してもらった。分別のつく人だと思った。 「あの子、これから先も守ってやれよ」 「え」 「あんたら兄弟じゃないだろ」  言われて、焦り何も返せない。 「あの子は多分ペガススの生まれだろう。それも、どこかの貴族様の子どもかもな……」 「貴族?」それにペガスス出身だって? 「ドラコじゃ見かけない容姿だ。まあ、没落貴族がドラコに流れ着いてそこで生まれた子とも考えられなくはないが。金髪でああいう線の細い感じの子はペガススの典型的な貴族の子だよ。魔法も使えるというしね。魔法も特権階級の持つ能力だ。捨てられたとか、誘拐されたとか、いろいろ事情があるのかもしれん……。体もひ弱そうだし、身内がいないのも不安なものがあるだろうな」 「……」 「あんた、本当に何も知らないんだな」船長は頼りないものを見るような目つきで俺を見た。  あの事件の後、船長と何度か話す機会があり、俺が記憶喪失だということは伝えてあるが、常識的なことまで抜けているので呆れられてしまっている。 「あんたもいろいろ喋ってくれたから言うけどな、俺、実は義賊なんだ。普段は海賊さ……。身分を隠して、物資の輸送を行っている。無償でな。まあ、今まで金持ちどもから収奪してきた身代を費やしてやっているのだが、いわゆる強制的な募金をさせていたわけだ。この活動は無駄ではないと思っている。生き残ったやつらが村の復興を望んでいるからな」  やはり村には生存者がいて、魔物に滅ぼされた村の復興を願っていたのか。アレンは自分も復興の手助けが出来ればよかったと思った。 「他に援助しているものがいないと言っていたな」 「ああ。嘆かわしいことに、この世は自己中心的で損得勘定でしか動かない者が多い。俺は異端(ヘレシー)の出でな、あんたは異端すらピンとこないようだけど、……まあ要するに隔絶された土地で何代も生きのびてきたものの子孫なんだ。だけど、俺の母親はペガススの身分のある女だった」 「異端(ヘレシー)……」  あの傷害事件の翌日、カミュが昼食を食べて元気を取り戻してきたころで、異端について聞いた。知る必要はないよ、と答えながらも、カミュは教えてくれた。神代(かみよ)の頃に、火の民の王子が自分の娘とともに絶海の孤島に流されて、そこで已む無く近親姦を繰り返して増え続けた忌まわしき民たちだと。聞いたときはただただおぞましかったけれど、当事者の身になったら他に選択肢がなかったのだろう。島から救出された今も異端に対する風当たりは強く、差別が続いているらしい。 「ああ。異端には、家畜になっちまった物言わぬ変異体もいるし、正常な人体に見えても寿命が人間の4分の1程度と極端に短い者もいる。それでも、俺の母は身分を捨てて異端の男と愛を誓って結婚した。親父が死んだ後も、革命家として貧しい人々や差別を受けている人々のために戦い続けた。……そんな母さんもとっくに死んじまったけどな。俺はその跡を継いでいる」 「弱い者のために戦っているのか」 「そういうことだ、アレン。あんたも旅の道連れが非力な少年なら、守ってやらないとな。……と言ってやるのも、あの子が俺の母さんに似ている気がするからなんだが……」 「似ている?」 「ああどことなくな。機敏なところや意外に気丈なところとか」船長はそう言って目を細めた。 「……」一時、波の音も風の音もしなくなったように感じた。 「あんたもいろいろ抱えてる身だし、二人で力を合わせて幸せになっていただきたいものだ」  船長はにやりと口角を上げると、くるりと半回転して操舵室へと戻っていった。船長の後ろ姿が視界から消えると、海鳥の鳴き声が聞こえだした。陸に近いのだろう。俺もそろそろ客室へ戻ることにした。

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