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*-7 満たされぬもの

***  六日目にしてようやく、ペガスス西部の港に着いた。  北方の地方なだけあって、肌の白い人が多い。髪の色も黒と茶が半数で、ウェーブのかかっている人が多いのは、褐色肌で黒の直毛が多いドラコの人種とはだいぶ対照的だった。船長の話では、カミュのような金髪はペガスス大陸に多いと聞いていたが、港町には一人としてそんな髪の持ち主はいなかった。  言語の違いはなかったが方言について若干の差異があった。しかし、どちらの大陸もそれぞれが自分たちの喋る言葉を標準語と言っていた。俺の場合、ペガススで話してもアクセント等で特に指摘されることも変な顔をされることもなかった。これは違和感なく話せているということでいいのだろうか?それはつまり、かつてペガススに住んでいた可能性もあるかもしれないということだ。  一方のカミュは訛りを指摘されることが多く、彼はその度に顔を赤らめて、自分が野蛮な国から来たものであるかの如く、すぐに直そうとするのだった。 「もともとドラコ大陸には古王国が一つあってね、ペガススに並び立っていた諸王国とは別民族で言語も違ったそうだよ。だけど、戦争でペガススにある国が勝利を収めて世界を支配したから、言語も一つに統一されたんだ。でも、ドラコの辺境なら、古王国の言語を使っているところもあるかもしれないね」 「へぇ……」そんなことどうでも良いのだが、カミュは続ける。 「ドラコの古王国は精霊の加護を受ける4つの民族で成り立っていてね、その中に火の民がいたんだよ。アレンさんもその血を引いているよね」 「なんでそんなことわかるんだ?」俺は眉を顰める。 「それは、うーん。髪の毛先が赤く染まってるのと、瞳の黒に緋が混じってるからだよ。人種大辞典にも書いてあったし、あの船長さんも言ってたから間違いないね」  異端(ヘレシー)も火の民の王子の末裔だという話だった。俺と船長は先祖が火の民で一緒だったということだろう。火の民は別名『(いくさ)の民』とも言われ、武人を多く輩出する民族で、冶金(やきん)、主に刀鍛冶を職業とする者も多かったらしい。 「俺の話はまあいいが、お前の方はどうなんだ。ペガスス大陸って聞いたが?」  俺の血統のことはどうでも良かったが、カミュの生まれについて気になり始めていた。 「船長さんがそう言ってたの?」  カミュは目を見開く。自分の身体的特徴については無頓着なのか、人種大辞典で調べたことがないらしい。俺のことはいつ調べたのか知らないが、変わった子だ。 「……どうだろね。物心ついた時にはすでにドラコの隊商にいたから……」  今話している場所は、港町の酒場であった。下船して一杯やろうということで(酒を飲むのは俺一人だが)、やって来たのだ。俺が酒場に入って酒を注文し終えると、カミュは宿を取ってくると言ってすぐに出て行ってしまった。そして、戻ってきてから今の会話である。俺はビールとジンをいくらか飲んで、曖昧に返事をしていたが、カミュに促されて宿に泊まった。  酔いすぎているからとシャワーには入らなかったが、カミュがタライと濡れタオルを持ってきて、俺の下着を脱がせると背中をふき始めた。タライの湯は熱く、汗を拭きとるにはちょうど良かった。小さい手のわりに力を込めてごしごしと拭いてくれるので気持ちがいい。 「前は俺がやる」下半身を拭うため、カミュから濡れタオルを受け取った。  カミュは俺から離れると束ねていた髪の紐を解いた。首筋までの長髪がふぁさっと垂れる。絹糸のような金髪の隙間から透明感のある細い首がのぞいている。 「僕はお風呂入ってくるね。このお宿はお風呂もあるから、アレンさんも酔いが醒めたら入って汗を流すのもいいね」そう言ってウィンクすると、颯爽と出て行った。 ***  それからの話は、特に事件というほどのことも起こらず、順調といえば順調に事が運んだので、割愛して書く。  前にも書いたが、俺が漁師になろうかと提案したら駄目だと言われて(船酔に苦しんだことを忘れるなんてバカである)、港町を後にした。  そこからさらに3つほど村を通過し、ようやく落ち着いたのがこのバンダリ村である。どの村も同じような規模の村ではあったが、バンダリ村には図書館と美容室があった。これが決め手だったのだろう。カミュは本が大好きらしく図書館通いが出来るこの村を気に入った。  しかし、村の中には住もうとしなかった。俺のスキルでは村の職業でなれるものが限られているというのがその理由だった。ギルドに登録してクエストを受注しまくって荒稼ぎしようとも言ったが、「君は剣の技能などないし、臨時の土木工事など一時的な労働力として消耗させられるだけだ」とカミュにはギルド登録すらも大反対された。  そうこう仕事を探していると、カミュが村の地主と交渉して山の使用収益権利書を持ってきたのだった。「また、言いくるめの術を使ったのか?」と訊くと、ためらいがちに「そうだ」と答えた。俺は呆れて怒る気にもなれず、長い溜息をついた。借り賃には、船内暴行事件の示談金を使ったという。金額をちょろまかしたりはしてないようだ。 ***  村から荷馬車で二時間ほどかかる山の上に居を構えてから、俺は安堵したのか、体の底から湧き上がる何かに気付き始めていた。それが何であるかを理解するのに時間はかからなかった。どろどろとした心の淀みを晴らす手段を俺が知らないわけでもないが、それでもつとめて真面目に日々を過ごしていた。  山を借りて木こりの仕事をはじめまだ3ヶ月。慣れないこともあったが、力仕事は俺に向いていてやりがいもあった。  しかし、その間も満たされないものが腹の底にくすぶり続けていた。それは性欲だった。性欲を一人で解消させることは十分可能だ。自慰行為をすれば、ものの15分ほどで終わらせることができる。ただ、もの悲しいし何かが決定的に不足していた。  その頃は俺が寝室のベッドで、カミュはダイニングのソファーで眠っていた。ソファーは俺の身長だと足が余りすぎて眠れない。そこで、丈の長いベッドを買って、増設したばかりの手作りの寝室に置いたのだが、寝室が手狭になってしまった。  夜な夜なそのベッドで一人で眠っていると、切なくて苦しく感じるときがあった。俺は愛が欲しいのか?それとも肉があればいいのか?村へ行けば女を抱けるだろうか?そんなやましい考えが頭をよぎった。

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