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*-8 水鏡の泉

***  大陸を渡ってから2ヶ月ほど経ったある日。秋めいてきてはいたが、日中はまだ汗を流すほど気温の高かったときのことだ。  この頃はまだ、廃屋となっていた小屋の修理と納屋の増設などを行っていたが、俺は午前のうちに行うべき作業を終えて、山の中腹を流れている川に向かった。川底にカエリのついた籠の仕掛けを昨日のうちに仕掛けておいたので、魚がかかっているだろうと見に行ったのだ。案の定、イワナが二尾籠にかかっていたので、俺はほくそ笑む。今日の昼ごはんは、新鮮な川魚の塩焼きだ。  籠を担ぎ上げたとき、目の端に一瞬きらっと光が見えた。川原の向こう岸は針葉樹が林立しているので、よく見たことがなかったのだが、川の上流は二手に分かれていて、細い方の源流が林の奥に続いていた。その水面の光が俺の目に映ったのだった。  その先は行ったことがない。単なる好奇心ではあったが、俺は籠を肩にかけて細い川を辿ることにした。もしかしたら、魚を取るのにもっといい所があるかもしれないと期待もしたが、緩やかな坂を数分登るとその川の流れはみるみる細くなり途絶えてしまった。  地面ばかり見ていた俺は、引き返そうとして顔を上げて、ぎょっとした。眼前には馬も駆け下りられないような急斜面があり、下は窪地になっていた。林は開け陽光が燦燦と差し込んでおり、満面に水を湛えた、鏡のような丸い泉があったのだ。  そして、あろうことか、その泉の真ん中で波紋を立てている足首があって、俺は喫驚した。足が消えてしばらくすると頭から浮かび上がってきた。  ぷはっ  そこには、小さな少年がいた。  水面から出るなり、口から銀色の飛沫を吐いて息を整えている。カミュだ。  顔にかかった濡れた前髪をかき上げると平泳ぎで池の端まで泳ぎ、淵の岩に腰掛けてバタ足している。それに飽いたのかつと立ち上がって、腰の方まで水が浸かる深さのところに行き両手で体を優しくこすり始めた。  俺は斜面の上にいたが、もっと近くで見たくて、音を立てぬよう茂みの陰に沿ってゆっくりと降りてゆく。カミュは全く気付かずに肩や背中に手を伸ばして、水浴びをしているだけなのだが、少年の全裸になぜかそそられて、このままずっと見ていたい気持ちがした。象牙のように白い肌に二点、小さな乳首が淡く色づいている。しなやかな体には、無駄な肉が一つもついていない。初潮を迎えていない乙女のようにほっそりとした体だった。  上半身を洗い終えたのかカミュは水面下に手を伸ばしたが、急に手を止めた。俺に気付いたのだろうかと息をひそめて身を縮めていると、カミュは急に赤面して潜ってしまった。静かな森にぶくぶくとあぶくの音だけが木霊する。どうしたというのだろう。  じっと待っていると、カミュは上体を出して一呼吸おいて再び泳ぎだした。今度はクロールや潜水で丸い泉の中で星でも描くかのように直線的に泳いでいた。まるで伝説上の水の精霊ウンディーネのように、水中を滑るように泳いでいた。  しかし、俺がさらに近づこうとしたとき、小枝を踏んでしまった。音を立てて泳いでいるカミュは気付かないだろうと一瞬思ったが、俺が音を出した瞬間、どこに潜んでいたのか小鳥たちが一斉に飛び去って行った。それが息継ぎをした彼の視界に入ったのだろう、カミュはまた不意に立ち上がった。 「だれ?そこにいるの……」  カミュは両腕を胸の前で組んで、辺りを見回した。 「……」ずっと隠れているわけにもいかず、俺は足を踏み出した。 「ア……アレン……さん……」カミュは顔を赤らめてしゃがみ込み、首まで水面に落とした。 「なんで……ここに?」 「道に……迷った」俺は相手の顔から眼を反らしぶっきらぼうに応えた。 「あ、……そうなんだ」カミュはなぜか安堵したのか、おずおずと水から上がってきた。薄桃色の乳首がつんと立っているのが間近に見えて、息を飲んだ。 「こんなところに泉なんてあったんだな」頭を掻きながら、わざとらしくないように振舞う。隠れてお前を覗いていたなんて、言えやしない。 「うん。透明度の高い泉。……水鏡のようだね。とっても神秘的じゃない?」  おもむろに俺に近づき、振り返って泉全体を見渡す少年。感嘆の息をついて俺に同意を求めると、カミュのペニスがふるっと震えたように見えた。まだ毛が生えておらず隠れるところのないペニスは、俺の手にすっぽり収まりそうなくらい小さく、紅潮していた。 「いつから知ってたんだ?」 「え?まだ一週間と経ってないよ。内緒にしておきたかったけど……」とカミュははにかんだ。  泉から上がり、髪の水気を絞ると、木の枝にかけてあったタオルで体を拭いた。濡れそぼった背中の肩甲骨からは純白の羽が生えていても不思議ではないと思ったし、タオルの拭い方にも子供らしからぬ色気を発しており、俺の下腹部に熱がこもった。そうとは知らずに、カミュは下着を身に着け始める。 「水浴びにこんないい場所があるのに、教えてくれないなんて……悪い子だな」 「そうかな……?」  カミュがふと顔を上げたとき、俺は何を思ったか、細い顎に指を添わせ顔を引き寄せた。 「あ……」  カミュの頬が染まるのを待たずに、俺は口づけした。  1、2、3……  秒数を数えようかと思った。この天使のような子が俺を押しのけるまで……。  しかし、時が止まってしまったかのように辺りが静まり返り、正確にどのくらい長くキスをしていたのかわからなくなった。 「あ……ぁ……い…や……」  カミュは震える両手で思い切り俺を突飛ばそうとした。体重差で、カミュの体の方がよろめいたけれど、俺はすっと離れた。 「アレ……ン……さん」荒い息をして、拳を口に当て、もう一方の手を幹に掛けるカミュ。 「すまん……」  俺は恥ずかしくなって木の陰に隠れた。どうしたんだ俺。どうして、子供相手にキスなんてしてしまったんだろう?と今更ながら思った。カミュの裸や仕草に欲情してしまったんだろうか?先日から抱え込んでいる性欲の蟠りが、噴出しそうになっているのだろうか? 「ど……どうしたの急に?」  カミュはやはり顔を反らし、囁くように言った。鼓動が早くなっているのが、空気越しに伝わる。顔色も少し青ざめているようだった。 「わからない。ごめん……」俺はただ謝るしかなかった。

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