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10-2 クマ退治

 月が沈み始めるころ、俺はダンケル老人の家を出た。しばらくしたら明かりを消して息をひそめるよう言ってある。一応、室内の男二人には、包丁や鋤など武器になりそうなものを用意させてあるが、爺さんはともかくリヨン君は中性的で戦力になるか疑わしい。  俺の手元にあるものは、一対の棍棒とエリーに持たされたスカーフ。先に言ったように玄関入り口には輪を使った縄を仕掛け、玄関の軒上に網を設置している。縄を引くと手足を拘束し、同時に上から網が引っかかって身動きが取れなくなるという仕組みだ。そして、俺は家からほど近い茂みに身を潜めて待機する。  10分も経つと、部屋の明かりが消されて真っ暗闇となった。目が慣れるまでに時間がかかる。今夜ここにいる四人の人間は、夜明けまで誰も眠ることはないだろう。  生暖かい風と共に葉のこすれあう音が聞こえ、時折ふくろうが鳴いている。それ以外は何の音もしない。時間の経過がわからなくなるほど緩慢だった。  30分ほどたったころだろうか。小腹を空かした俺は、夜食にと渡されたマフィンのサンドを口に運ぶ。エリーが目玉焼きやレタスなどを挟み、特製のソースで味付けしたものらしいが、緊張のせいか味がしない。食べ終えて、ふぅと息をつく。再び、家の周囲に気を配る。  突然、窓ガラスがきらりと光った。家全体をぼんやりと眺めていた俺は息を詰める。  と、窓ガラスがガリガリと音を立てて開いて、 「うしろ!!」とエリーの叫ぶ声がした。  俺は一瞬にして総毛だって、飛び起きざまに振り向き後退すると、ザンっと衝撃が走った。 「……ぐわっ」  茂みから飛び出すと、俺は膝をついた。  ——やられた。  振り向いた瞬間に、胸をざっくり切られた。手を当てると、シャツが裂けており血が流れている。視線は前方に黒くて大きな塊を捉える。二つの目を赤くらんらんと光らせたそれは、地平にある月の逆光で影絵のようだった。  俺より一回り大きなガタイには剛毛が逆巻いており、頭からは耳が突き立っていて、手足には鋭い爪が備わっていた。仁王立ちして俺をねめつけている。  クマ?いや、クマのような魔物?正体が判じえないが、このまま突っ立っていてはやられる。  すると、そいつは地面に落ちていた拳ほどある石を両手に拾うと、家に向かって豪速で投げた。それは家の壁に当たって粉々に砕けた。 「あ、危ない!窓から離れろ!」俺は叫んだ。  もう一投が窓を突き抜ける。ガラスの割れる派手な音と、悲鳴が聞こえた。 「大丈夫か?この野郎ー!」  言い終わらないうちに俺は腰から棍棒を抜くと、左右の手で握り締める。  間合いを図るためにやつとの距離や腕のリーチを見る。暗闇のせいか遠近が狂っているが、体長と比較すると相対的に腕が長く見える。先の攻撃をもろに受けていたら、致命的だったろう。間一髪で飛び退ったのが、奇跡に近かった。  そいつは四つん這いになると、唸り声をあげて俺に突進してくる。まるでヤマアラシのように毛先をとがらせ、猛々しい雄たけびを上げながら、突っ込んでくるものだから、俺は恐怖を感じてさっと右方に身をかわした。駆け抜けるとまた折り返し、こちらを向いて喉をうならせる。  ぶつかりざまに棍棒で殴打したところで、どれだけのダメージが与えられるだろうか?俺の方が大けがをする可能性が高い。今は闘牛士のように猛攻を避けるしかない。 「うーっ。うーっ。ぐぎーっ」  こいつが魔物だとしても、話し合いは通じそうになかった。魔物は世界各地にいて、種類も様々で、中には人間と話せるものもいるというが、こいつは知能が低いのだろうか?そのくせ気配を感じさせず俺の背後まで近づいていたり、窓に石を投げつけたのだから驚きだ。   何度かかわし切るとそいつは立ち上がり、ぐるぐるとよだれを滴らせながら、俺の胸倉を掴みかかろうとした。その腕を棍棒でぶったたく。痛かったのか腕を引っ込めるが、もう一方の腕を振り回し、俺の棍棒を鋭い爪に引っ掛けて奪い取ろうとしているかのようだった。長い爪が俺の体に達する前に棍棒で防衛し、今度は肩に一撃を入れる。ごきっと鈍い音がして一瞬ひるんだすきに、もう一方の棍棒を胴体に突き立て体重をかけて押し込む。 「げぇえええー!!」と、巨大な獣は嘔吐しながら、両手の爪を俺の肩にかけてくる。 「ぐっ」  威力はなかったが鋭い爪が皮膚を切り刻み、後から痛みが走る。だが、突き立てた棍棒はそのまま奥へとねじ込んでいく。と、そいつは頭突きをくらわそうと思ったのか胴体を一旦反らせたので、俺は奴の捕捉から脱して棍棒を掲げて跳躍した。頭突きのタイミングで顎にカウンターを仕掛けたものだから、目をちかちかさせよろけて座り込んだ。すかさず脳天めがけて何度も棍棒を振り下ろすと、しまいにそいつは全く動かなくなった。 *** 「……終わったな」  毛むくじゃらの獣を縄で縛りあげると、俺はようやく嘆息した。獣は死んだとは思うが念のためだ。  三人は小屋から出てくると、松明を設置してくれ、そいつの拘束の手伝いをしてくれた。窓を貫通した小石や、割れたガラスの破片は、幸い三人に当たることはなかったが、皆顔面蒼白だった。また、リヨン君は漏らしてしまったので、ダンケル爺さんの股引を穿かせてもらっていた。  外はまだ暗いが、時期に夜が明けるだろう。とうに目は暗さに順応していたが、獣の正体はいまだ不明だった。 「ふぅ。少し休む」俺は言い終わらないうちに、前のめりに倒れこんでしまった。

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