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11-2 悪魔の本

***  俺が山に帰り小屋に戻ると、扉には鍵がかかっておらず、玄関入ってすぐのダイニングテーブルにカミュが突っ伏していた。俺は驚いてカミュに駆け寄り、肩に手をかけてゆすった。  すうすうと寝息を立てているのが聞こえて、やや安心した。まだ午後4時を回っておらず外は明るかったが、不用心にもほどがある。傍らには図書館の本が乱雑に開かれており、大小二つの水晶玉が床に転がっていた。また、台所にはどこで入手したのか毒々しい色をした野草がボウルの中の液体に浸かっている。 「カミュ……起きろよ」 「……ん……」カミュは寝ぼけて目をつぶったまま顔をきょろきょろと動かした。 「おい……しっかりしろ」 「あ……アレン!!」  ようやく目覚めたカミュは椅子から立ち上がると、ひしと俺の腰を抱いて、しくしくと泣き始めた。 「遅いよ……ずっと待ってた。僕を一人にするなんて……」 「ごめん……依頼は解決した。倒したよ」少年の絹糸のような金髪を優しくなでてやる。 「君、それ……」  カミュの頬にすり寄ろうとすると、少年はわなわなと胸をさした。そして、俺の手を引っ張ってソファーに座らせた。 「やっぱり怪我を負ったんだね」  傷が膿んだらいけないと、早速カミュは血に滲んだ包帯を剥がし始めた。俺も傷をはっきりとは見ていなかったが、ダースリカントの4本の爪が胸と両肩にしっかりと刻まれていた。カミュは声を詰まらせたが、冷静になると台所に塗り薬を取りに行った。 「爪と爪の間隔からして……尋常じゃない大きさだよ。こんなのよく倒せたね」震える指で丁寧に俺の傷口に薬を塗り始める。 「肩にまで傷を負って……僕を心配させないで」 「でも……報酬をもらった」  俺はダンケル爺さんと村からもらった金を合わせて、カミュに提示した。が、即座に肩をすくめ、顔をそむけてしまう。 「こんなの何にもならないよ。君に何かあったら、僕は生きていけない」綺麗な包帯の上から、カミュは口づけを落とした。 「豊かな生活のためだ。カミュ……お前だって村で暮らせたらと思うだろ?俺が依頼を受けて働けば、木こりの収入よりずっと稼げるようになる」 「そんな考え方、駄目だよ!アレン、君は木こりなんだ。真面目に働くのが取り柄なんだ。柄にもないことを考えるのは命とりだよ。無謀すぎる」  カミュは首を大きく振って、俺の肩に頭をのせた。腕を首に絡ませられ頬を摺り寄せられると、不意に劣情がもたげた。今すぐにでも抱きたい。そう思って手を伸ばしたが、 「バカなことを考えるのはやめよう?」 「バカなこと?」伸ばした手をすっと引っ込める。 「僕はこの森で二人静かに暮らしていければ、それで十分なんだ」 「でも……」俺はもっとやれる……。 「わかった??」カミュは俺の顔の前で、必死に説得しようとしていた。 「……」 「君がわかってくれないなら、仕方ない……」  少年は肩を落としてテーブルに戻ると、散乱した魔術書を片付けにかかる。が、そのうちの一冊を床に落としてしまった。大きな本だ。拾ってやろうと腰をかがめると、開け放たれた窓から突風が流れ込んできた。大判の重たい書物のくせに、ページがどんどん捲られていき、あるところでピタッと止まった。 「おい、これ……」  カミュは他の本を担いで定位置に運んでいたが戻ってくると、俺が指さすページを見た。 「あ……」カミュは目を見開く。  そのページには、見たことのない文字で装飾された怪しげな六芒星とその中央に浮くようにして悪魔と思しき者が描かれていた。書物を抱えニヒルな笑みを口に浮かべるそれは紳士然としているが、ヤギのような耳をし、鉤のついた尻尾はよく言う悪魔のそれである。その者の回りには老若男女や様々な動物の仮面があり、手前には男女が裸体で結ばれている絵が描かれている。天文学に聡いのか、背景は夜空で月の満ち欠けの図がぐるりと描かれている。写本のためすべてが手書きだろうが、ペンの線画に彩色を施されていて、大変緻密な絵だった。  そして、ページの上には複雑な装飾ながら、俺にも読める言語で『ダンタリオン』と書かれている。 「ダンタリオン……?」  俺が呟くと、カミュはさらに覗き込んで、その悪魔の詳細な説明文と思われる文章を読んでいた。何か気になることでも書いてあるのだろうか。それよりも、俺はこのページのあることに気づいた。カミュはそのまま本を持ち上げようとする。俺も手伝って一緒にテーブルに運んだ。 「ふーむ」と夢中になって読み進めるカミュ。  彼は一つのことに集中すると他のことに気がいかなくなる。俺もカミュに倣って文章を読もうとしたが、いろいろな言語が混ざっているらしく、また専門的な複合語が読解の邪魔をしているため、読むのを諦めて絵の方に見入った。  先ほどからこの絵について気になっていることは二つあった。ひとつは、男女が裸体で睦まじくしている上に掛かれている小さな女が、以前俺が淫らな夢を見ていた時にその相手をしていたヤギの角を持つ女にそっくりだったことだ。  淫夢の女のことは、以前睦言の中でカミュにも話したことがあった。あいつとの初めての性交——それ自体は上手くいかなかったが——以来、女が夢に現れなくなったことについて、自分との契約が成立したから、夢魔(むま)が入る隙が無くなったのだろうと言われた。  その女が、夢魔であり、サキュバスというものであることを俺は初めて知った。  もうひとつの気になることは——

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