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12-3 破滅の予兆

「そんなわけで、一味を捕える手掛かりは全くないのだよ。未だ、町民の財産が脅かされている以上、君の手柄に対し多少なりの感謝こそすれ、町税から捻出される報奨金までは与えられない」表面上は慇懃に微笑みながら、俺達の思惑を勝手に見積り、口では辛辣なことを言う。  たしかに、名声を上げて、己の能力を町長に理解してもらい、それを十分に生かせる仕事に就きたいという意図は少なからずあった。しかし、金までせびっているつもりはなかった。憤りに拳と丹田に力がこもったが、マールはそんな俺を手で制す。 「あら、町長さま。ミスター・イーグルは、そんな瑣末なことをお望みじゃなくてよ。窃盗団の手がかりをつかめれば壊滅させられる、お力になれると思ってこちらに来たのですわ」マールは、相手の厳しい言には微塵も気に留めていないかのように明るい口調で言った。 「彼にそんなことができるわけないじゃないか。見たところ、まだ若いし……それに、ミスターだって?」と、笑みを張り付けたまま俺をじろじろ見る。愛想のよかったおやじが、どんどん胡散臭げに写る。  すると、ギルドの女主人は、町長が俺にしたように、目を眇めて町長を品定めした。 「まあ。人を見た目で判断なさるんですか?……イーグルは、昨日素手で巨大熊の魔獣ダースリカントを仕留めたんですよ?」 「ダ……ダースリカントだって??」町長は腰を抜かさんばかりに驚いて、両手をテーブルに突いた。 「ええ。そうですのよ」  マール・キルトンは腕をまくり上げて、自分の手柄でもあるかのように鼻を鳴らしながらふんぞり返っていった。徒手ではないが、そこは彼女なりに話を盛ることにしたのだろう。 「ダース……リカント?」カミュも呆然として俺の方を見る。あ、言ってなかった。 「……ねえ……。ダースリカントって本当なの?」  隣に行儀よく大人しく座っていた体を小刻みに震わせて、しまいには泣き出してしまった。何がそんなに悲しいのかわからないが、「ダースリカントで30Gはピンハネだ。足元を見られてる。だから言わんこっちゃない」などともごもご言っていたので、大したことではなかろう。  とりあえず気分転換にと、マールはカミュを外で散歩してくるよう促した。カミュは、俺を睥睨すると頭を抱えながら退室した。マールは冷たい目で俺を一瞥した。 「そうですか。自称怪力ということですね」 「自称じゃないわ!ちゃんと見届け人もいるもの……」 「その証言者はここにはいないのでしょう?さっきの子は?」 「あれは俺の連れで現場は見ていない。証人は村の青年団の代表だ。リヨン・マクレガーといって」 「あーリヨン君か。よく町村の会合をすっぽかす、あの青年か。夜の集会は夜道が怖いから行けないとか抜かしおる、小心者か。金で買ったのか?」 「なんだって?」  収賄疑惑を掛けられて、町長の態度の豹変に俺とマールはびっくりした。しかし、もう激情に流されてしまうようなことはなかった。 「本当にダースリカントを一人で倒したと言えるのかね?それに、この地方は強い魔物が少ないのに、村のはずれに一頭だけ現れるものかね?何か悪しきことの前触れか、はたまたマールさん、あんたの鑑定が」 「鑑定が何ですって?私の見間違えだとでもいうの?冗談じゃない!!村中の人々が魔獣の死骸を目撃しているのよ!魔術雑貨店の主もダースリカントの肝を買い取りましたわ。ふん。いいでしょう。あなたにイーグルの強さを証明しますから」  テーブルを拳で力強くたたいて断言すると、マールは俺を置いてすくっと立ち上がった。 「アレン!!行きましょう!あたし、切れましたわ!!」 「行くってどこに?」  マールに強引に腕を掴まれ、俺はおどおどしながら退席した。 ***  カミュは町長の屋敷の別室、控えの間にあるロココ風の長椅子にしばらく凭れていた。窓の外に広がる庭には石楠花が植えられていて、鮮やかなピンクの花が目に映える。日差しが強く陽炎が立っていた。生暖かい風が窓から流れ込んでは、汗ばんだ皮膚を気怠く舐めている。  執事が持ってきた氷入りのぶどうジュースをストローで飲むと、感激に身を震わせた。久しぶりに飲む冷えたジュースだった。  近頃は村に行っても、アレンは喫茶するが、カミュは節約して店の外から声をかけるだけだ。その代わり、美容室で髪を切ったり、魔術の実験材料などをちまちまと購入したりしている。  以前ジュースを飲んだとき、ご馳走してくれた人は記憶を失って何も覚えていない。この薄紫のローブもカミュが初めて魔法を披露したときに、彼がご褒美に買ってくれたものだった。あのときは天に上るほど嬉しかった。育ての親よりもたくさんのものを彼は僕に与えてくれたのに。  ——ああ、何も覚えていないんだ。そのことが辛かった。加えて、最近は僕に隠し事ばかりして。 僕は何度も経験している。この破滅の予兆を……。  ——アレンがまた記憶を失ったら、僕はもう……。 「ご気分はよくなりましたか?」  涙を流しながら、ぶどうジュースを飲み切っていることに気付かず、みっともない音をさせていた。執事に声を掛けられて、慌ててグラスを置いて、手で涙をぬぐった。 「こちらをお使いください」と、真っ白なレース織りのハンカチを渡される。 「あ……だい…じょうぶ……です」 「いいえ。あなたにはこちらが相応しい」そう言われてハンカチを手に乗せられ、その手を優しく包んでくれた。 「……あなたは魔法学校の寮生ですか?」 「え……」突然の質問に戸惑うカミュ。 「あ、違いましたら申し訳ない。御髪といい顔立ちといい、貴族のご出身かと思いまして。中等科には、あなたのような方々がご勉学をされているんですよ」 「魔法学校……」カミュの友人で図書館に勤めているレイナも通っていた学校である。レイナは家の都合で中途退学してしまったが、回復の白魔法と補助的な青魔法を得意としていた。 「白魔法……教えてくれるのかな」  カミュはハンカチで涙を拭いながら訊いた。 「え?白魔法?私は魔術師ではありませんから、詳しいことは……。学校に行きたいのですか?」 「……」入学したいかは判然としなかった。少年は正規の教育を受けたことがなかったから、学校が何をするところかもよくわかっていない。 「……見学ならできますよ?なかなか町にくることが出来ないのでしたら、散歩がてら行ってらっしゃいな」  カミュは執事の顔を食い入るように見つめた。

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