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12-7 若草の慕情

***  カミュは一度町長の屋敷に戻った。厩舎にアレン達の馬車があったが、一時停めているだけで、屋敷にはいないとのことだった。執事は彼の汚れた姿を見て驚き、控室で休むよう促したが、そのうち戻ってくるだろうから外で待つと屋敷の角のガス灯に背を預けて待っていた。  心身ともに疲れ果て足腰は震え、路上に座り込んでしまいたかったが、歯をくいしばって耐える。魔法学校で味わった屈辱で彼の矜持はズタズタにされていた。  ——あんなところ、もう二度と行くものか!学校なんて、貴族なんて、ろくな人間はいない!  あの門衛は犯罪者だ。僕が身売りしていると思いこんで、無理やり体を弄ぼうとした。そして、校門にいた貴族たちは犯罪を見て見ぬ振りをした。  おそらく魔法学校に訴えたところで、先刻のように浮浪児か娼婦扱いされて嘲笑されるだけで、あいつは何の咎も受けずにのうのうとあそこに居座り続けるだろう。犯罪者の温床じゃないか!全くもってふしだらだ。カミュが抱く魔法学校への印象は最悪なものとなった。地団太を踏み頭を抱え込む。悔しさに唇を噛み切ってしまい、一滴の血が落ちた。  往来を行く人は、そんな彼を誰も気に留めることなく忙しなく通り過ぎてゆく。視界にすら入っていないようだ。 ***  待つこと1時間ほど、アレンとマールが大荷物を抱えて戻ってきた。アレンは背中に剣とメイル、バックラー等の入った重い袋を背負い、マールはその他の衣類などが入った紙袋を両手に下げている。  アレンは、カミュを見るとぎょっとしたように瞠目して、慌てて走ってきた。 「どうしたカミュ。ローブがぐちゃぐちゃじゃないか」  アレンは顔を歪めて、カミュの茶色に染まったローブに鼻を近づけた。コーヒーの臭いがすることに気付いたのだろう。眉間に一層の皴が寄る。 「何があったんだ?」カミュの口元が切れていることに気付いて、顎に手を添えた。カミュはそれを振り切る。 「……何でもない」 「何でもないわけないだろ。誰かに怪我を負わされたのか?」  アレンが顔を覗き込むと、少年の双眸から流れた二筋の涙の痕跡があった。左の頬は赤く腫れており、平手打ちを受けたと思われる。マールも近づいてきて、カミュの手首を見た。両手首は縛られたような縄の跡がくっきりと残っていた。 「どこでこんなひどい目に遭ったの?カミュ君……」 「……」  カミュは何も答えるつもりがないらしい。アレンとマールは顔を見合わせた。 「ずっと立っていたのか?屋敷で休ませてもらえなかったのか?」 「……こんな格好じゃ……」少年の目に涙が溜まり始めた。  アレンは困り顔で、カミュの背を優しくなでハグをしてやった。マールは腕を抱えてそれを流して見ている。 「ごめんな。ずいぶん待っただろう。……マール。さっき言ったこと……」 「……まあいいわよ。これも投資のひとつね。100。現金はこれだけよ。充分でしょ。好きに使いなさい」と、小声で言うと革袋を渡した。 「その代わり、あなたに付き合わされてもうくたくただから、一旦お屋敷で休ませてもらうわ。ここの空気を吸うのは癪だけど」  欠伸をすると、マールは紙袋を路上に置いて、「早く戻ってきてね」と言うなり屋敷へと入っていった。アレンは荷物をすべて馬車に運び込むと、カミュの佇んでいたところに戻ってきた。顔は青ざめ具合がよくなさそうだが、アレンは彼の手を引いて広場の方へと向かった。 *** 「アレン……どこへ行くの?」せっつかれて、足をもたつかせながら、息せき切ってカミュは問いかける。 「いいから……」俺は防具屋通りの一角にあった、魔法防具専門店に入っていく。  店先の帽子やらローブやらで、カミュはピンときたようだ。ここがただの服屋でないことに気付き、カミュは辺りを見回した。店内は幻想的なフレスコ壁画やタイル張りの床が設えられ、天井からは色とりどりのガラスのモザイクランプが掛かっており、ノスタルジックな空間を演出していた。  中央だけ白い照明で照らされていて、その四方に鏡がぶら下がっている。試着した姿をここで確認することができるのだ。 「カミュ。そのローブは寸詰まりでお前には短い。汚れてしまったし、新しいのを買ってやろうと思ってな。予算には限りがあるが、何でも好きなのを買ってやるよ」 「アレン……さん」彼は驚いて固まっている。 「さん付けしない」  カミュは時折、昔のように俺を敬称で呼ぶことがあるのだが、関係を持ってからは互いに呼び捨てしあうように言ってあった。 「でも……さっきのお金。マールさんのだよね」先ほど渡された革袋を見ていたとは目敏いやつだ。 「そうだ。ま、俺もいろいろと買ってもらったしな」 「え」 「……もう借金してるんだよ。今更、お前のローブを買ったところで、額面はさほど変わらない」 「そんな……そんな……借金なんて」カミュはあたふたと俺の腕をさすり始める。予想の範囲の反応だった。 「気にするな。何とかなるから」ポンと肩を叩いて慰める。 「……」 「この色なんかいいんじゃないか?魔法学校の学生たちもこんな色のローブを着ていたな」  アレンはその話題は飽きたとばかりに、カミュから視線を移してハンガーラックにかかったローブを手に取り始めた。ローブには特定の属性魔法に対する防御効果を付加されている特殊な布地を使用しているものもあったが、そういったものは高く1000G以上はする。今選んでいるのは、魔導士が普段着として着用するような安物の魔導服だ。とはいえ、カミュは嬉しくて涙が出そうだった。 「その色は嫌!!」とアレンが手に抱えていた濃紺のローブを奪い、ラックに乱暴に沈める。  彼は驚いたような顔をするが、「そうか……」と言って、腕を組みカミュが選ぶのに任せた。 「僕はこれ……この若草色にする」  手に取ったローブは胸元にドレープが付いて、袖口や裾はきめ細やかなレース編みになっていた。若草の萌えるような新緑が目に映えて、群衆に紛れ込んでも一目で見つけられるくらい鮮やかな色だった。 「目立たないか?」 「目立っちゃいけない?」 「いや……」 「それに、普段着には使わないし、特別な時に着るならこの色がいい」  ——若草色は生命の色だ。僕が初めてアレンに見初められた時、秋口に差し掛かっていたけれど、神聖な泉の周りはこの色で溢れていた。愛が芽生えた日の光景をずっと忘れないでいたい。  カミュは試着の時までそのローブを手放さなかった。

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