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13-3 痣

*** 「話は終わった?」戻り際、マールに聞かれて首肯する。 「熱も下がったみたいで、大事にならなくて良かったわ。さ、お昼でも食べながら、14日の話をしましょう。うちの子がカミュ君におかゆを持って行ってあげたようよ」 「……そうか。ありがとう」椅子を引く手に力がこもらず、常より重く感じる。 「どうしたの?落ち込んで。何かあった?」 「いや……。……14日のことか」 「ええ。道場の主とは正午にと約束したわね。3人用意すると言ってた。あなた3人も相手にするのよ。今日入れて2日間、練習に励んでね」 「わかった」 「まあ、一人でも勝てたら上出来だわ。町長を一泡吹かせるには3人倒してほしいけど。ちょうどその晩に窃盗団の襲撃が予告されているし、力を温存させておいても構わないわ。14日の深夜に美術館の絵を盗むという……」 「何の絵かわかったのか?」俺はカルボナーラをフォークに巻き付けながら訊いた。 「企画展の絵のようね。王室コレクションの絵画展らしいのだけど、奥の間に展示されている『永遠なるワルキューレ』ではないかと睨んでいるわ」 「ワルキューレ?」 「神話において戦場で生きるものと死ぬものを定める女性のことよ。当代随一の宮廷画家に描かせた油絵で女神のように美しいのだとか。私も見たことはないんだけど、一定の評価がある作品らしいわ」  アイスコーヒーを口に含み、宙を見据えるマール。女神か。どんな絵か気にはなる。 「厳重な警戒網を張るんだろ?俺たちの出る幕はあるのか?」 「そこなのよねー問題は。私たちは関係者じゃないから、美術館の周囲で待機することもままならないわ。窃盗団の仲間かと疑われる可能性もあるし、安易に近づけない。でも、絵を運ぶ窃盗団も自由には動きづらいと思うから、馬車かなんかで逃げるとしたらある程度離れたところに逃亡手段を置いておいて、そこまでは人目につかないように建物の屋根伝いに逃げる可能性が考えられるわね」 「なるほど。とすると、土地勘のある人間かもしれないな」パスタをすすりながら俺は言った。 「そうね。地の利を知らない私たちには不利かもしれないわ。何か時間稼ぎが出来ればいいんだけど」  そこに、ふわりと風の流れを感じた。俺が横目で見やると、カミュが階下に降りてきていた。身をかがめて気配を殺していたようだ。 「カミュ君。降りてきたの?安静にしてなきゃだめよ」マールは慌ててカミュに近づいた。 「どこに行くつもりだ?」俺もつと立ち上がる。 「……ちょっと」 「ちょっとって。まだ帰るまで時間があるから休んでろ。俺が食い終わったら帰る」 「用事があるんだ」カミュは青白い顔で言い張ると、扉に手をかける。その手をもぎ取って、俺は階上へと連れて行こうとする。 「お願い。この用が済んだら大人しくするから……」カミュの弱弱しい懇願に俺とマールは顔を見合わせた。 *** 「……なんで付いてくるの?」 「……」  しとど雨の降る村の通りを傘をさして気怠そうに歩くカミュの後を俺はついていく。カミュは振り向いて、俺の体を手で制して戻るように促す。彼が立ち止まると、ぴしゃっと泥がはねた。 「……心配だからだ」  俺は体をかがめてカミュの両肩に手を当てた。カミュは俺の手に触れながら首を振る。 「心配?村の一人歩きなら、大丈夫だよ。アレン……パスタ残ってたよね。冷めちゃうし食べに戻りなよ」 「食べ終わる前にお前が出ていくからだろ。熱があるのに無理しないでくれ。どこに行くつもりだ?」 「どこだっていいでしょう?……いつも村では単独行動でしょ?」  具合が悪いのを押していずこへと行こうとするカミュを心配しないことなどできなかった。ましてやこのひどい雨の中だ。体を冷やして悪化させることだってある。  ——それに……。  医者に言われたことが気がかりだった。内出血のこともそうだが、カミュの心に染まないセックスであるかもしれないこと。カミュは医者の問い質しに黙っているだけだったというが、口づけの痕を見られたくなくて診察を嫌がったのは容易に想像できた。俺は腹に負った禍々しい痣のことばかり憂慮して、見慣れてしまった自分のキスマークに目がいかなかったのだ。あれも同じ怪我だというのに。  カミュを抱くとき一週間前に自分の口がつけた痣を見て安心していたのは、それが自分の所有物であることを証しするものだからだ。あの痣が命を奪う懼れのあるものだとはつゆ知らず、俺は交合の度に所有の証を印しては悦に入っていたわけである。キスマークなんて言葉こそかわいいが、愛情の印というよりも占有したいがために勝手に傷害を負わせていただけだ。これが謝らないでおれようか。だが、素直になれぬ己がいる。  カミュは所有の痕跡を嫌がっていたかもしれないのに。今でこそ性交渉を喜んでいるように見えるものの、あれは俺が家を一晩空けることを嫌がって、代わりに自分を贄と差し出したようなものだ。カミュは独りぼっちになるのが怖くて、俺の性の捌け口となることに甘んじたのだ。そう考えると自分の仕打ちに今更ながら腹が立ち、ひどく暗鬱になる。 「お医者さんから何か話を聞いたの?」カミュが不安げに俺の顔を覗き込む。 「……」 「僕、話してないからね……。疑わないで」 「何を疑うんだ」 「体の痣のこと……。医者に言われたんでしょう?僕は黙っていたから」カミュは顔を赤らめながらそっぽを向いた。 「誰にされたかってことか?俺が心配なのはそんなことじゃない」 「じゃあ何さ」傘ごと振り返るカミュに 「……」俺は顔をしかめ喉元まで出かかった謝罪を飲み込んだ。

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