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13-4 一目惚れ

***  村を縦断する大路から横道にそれ、静かな住宅街へと入っていく。天気が良ければ頭上に幾重にも交差した縄に様々な色の洗濯物がかかっているが、今は灰色の雨雲一色だ。この辺りには食料品や衣料品等日用のものを扱う店はほとんどないが、小洒落た喫茶店や風変わりな雑貨店、子供向けの駄菓子屋に胡散臭げな水タバコ屋、裏寂れた骨とう品屋などが点在している。 「どこまで行くんだ?」  アレンはきょろきょろしながら、カミュの行く手を伺う。曲がりくねった細道で先が見えない上、道も舗装されていないので歩くたびに泥をはね上げ不快になる。しかし、自分の飼い猫が日中出入りしている所を知った時のような興味深い気分も味わった。 「怪しい所だな」 「着いたよ」  泥濘に足首まではまってしまい、カミュの肩を借りて脱出する。顔を上げると道は開けていた。小さな広場があり数本の小道が繋がっていて、交差点だけ石畳で舗装されていた。中央に小便小僧の像があって、雨の中お小水を勢いよく飛ばしていた。 「ここまで来れば心配ないよね。アレン。私用だから、ここで待ってて」と、玄関前の小さな庇の下を指さす。 「ま、待てよ。こんな狭いところで?」  庇の端から雨水が零れ落ち、玄関の大半は跳ねた泥で汚れている。こんな所で待たされるのかと、アレンは唖然とする。 「うん。じゃあ」と、ガラス戸を開けると妖精の金細工が施されたドアベルが麗しい音を立てた。 ***  魔法雑貨屋のノルマンとは数日ぶりの再会で、ちょうど入荷作業中の彼が梯子から降りてくるところだった。ノルマンは店外の話声からカミュに連れがいることに気付いており、ガラス戸越しにアレンの後ろ姿を見て言った。 「カミュ君の(ひと)だよね?君は全くいけずな子。いくら好男子だからって本当に水を滴らせちゃいけないよ。上がってもらおうか」 「駄目です。今日は大事なお話があって」 「彼には聞かせたくない話?」どじょう髭をひねりながら、横目でカミュの輪郭をなぞる。 「……そうです。勝手についてきちゃって」  艶めかしい視線にカミュはたじたじとなった。ノルマンはカミュの顔色の悪さに気付いたのか、なるほどと穿った顔をする。 「わかった。うちらはアトリエで話をするとして、あの方には店内で雨宿りしてもらおうね。うちはイケメンの入店は基本お断りしないの」 「はあ……」  冴えない顔のカミュを尻目に、ノルマンはアレンに声をかけて店内に招いた。彼は心底助かったという顔で室内に入ってくると、濡れた髪や衣服を出されたタオルで拭った。ノルマンはカウンターに頬杖をついてその様子をぼーっと眺めている。ああ、ノルマンさんってやっぱりそっちの人なんだなとカミュは得心した。  アレンはカミュを一瞥すると「不束でわがままな子ですが、いつもお世話になっているようで、ありがとうございます」と言って名乗ったので、カミュはぎゅっと下唇を噛んだ。そして、店主に持ってきてもらった肘なし椅子にどかりと座り込むと、何の気はなしに店内をじろじろと見まわした。  ノルマンが「気になりますか?」と優しげに訊くと、アレンは「すみません。初めて見るようなものばかりで……」と気まずそうに笑みを浮かべる。 「いえ、わかりますよ。一般の方はこのようなお店に入ることは一生に一度もないだろうから」と言って、ノルマンは自身が大昔に魔法学校高等科の学生であったことを披歴した。レイナと同じでやはり家の事情で中途退学したそうだが、魔術とは縁のある仕事がしたいからと魔法雑貨商を営むことにしたのだという。ノルマンの経歴についてはカミュも初めて聞いたことだった。 「学校からは脱落しても、魔法にかかわる仕事は夢がありましてね。雑貨屋なんで実入りは大したことないんですが、楽しくやらせていただいてます。掛け持ちでバイトしてるレイナちゃんもうちと同じでしてね。カミュ君も学校で学んだことがないっていうし、ここはアングラな子大歓迎ですよ」と冗長に言うと、アレンもへぇと相槌を打った。  ノルマンは優雅な仕草で大男の脇にある猫足のキャビネットに飲み物を置く。「それではカミュ君のご用件が済むまで、コーヒーでもお飲みになっておくつろぎくださいな。店内をご自由にご覧いただいてもよろしいです」と微笑んで、カミュの手を引いて隣室へ移動した。 *** 「カミュ君。どこで知り合ったの!」と、アトリエに引きずり込まれるなり、顔を寄せられて訊かれる。あたふたして答えられずにいると、 「ああいう人が好みだったなんて。あなた、うちのライバルじゃない!」と、カミュの胸を指でなぞりながら続けて息巻く。 「ラ……ライバル……ですか」  腰にぐいと手が掛けられ、丸テーブルの椅子に着席するよう促される。 「そう!恋のライバル。そこ、笑わない!」 「いえ、笑ってなんか」  腹の底から湧き上がるくつくつとした音が笑いでなければ何であろう。 「ま、とにかく、見る目があるのは認めるわ、カミュ君。あんなに大柄で逞しい体に精悍な顔つき、まるで野獣のよう。飼いならしたいわあ。うち、魔法雑貨屋になってなかったら、魔物使いになる予定だったの。本当よ?……で、どこまでいってるの?」  せっかちそうにテーブルをコツコツと突きながら、もう片方の手でカミュの顎を持ち上げた。どじょう髭は不満げである。一応断っておくが、彼はアラフィフの中年男性である。 「え」 「だから、キスまでとか~手を繋ぐくらいとか~ボディタッチとか~いろいろあるじゃない。キスにしたって軽いのから、舌で歯列をなぞってもらったり、舌の根を吸ってもらったり強烈なのまでヴァラエティーに富んでるじゃない!まさか、セッ」と言いかけたノルマンの口をカミュは抑えにかかる。テーブルに置かれたコーヒーカップが大きく揺れた。 「あの……そんな話しに来たわけじゃ……ないんです」 「ふ~~~~ん。うちはてっきり彼氏を自慢しにきたのかと思ったよ」  ——ああ、やっぱりアレンを連れてこない方が良かった。とカミュは思った。

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