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15-4 永遠の乙女
***
カミュとノルマンがタジール町に着いたのは正午ごろだった。
町内の飲食店でテイクアウトしたサンドイッチを軽く食べて、町の東部にある美術館へと馬車を走らせる。
個人経営の美術館は町の中心地からは幾分離れており、閑静な住宅街にあった。背の高い石柱とそれを結ぶアーチが3つ連なる真っ白なファサードに出迎えられたが、凝った装飾は正面だけで他の三面は白いレンガで建てられている。
窓口でノルマンが名乗ってオーナーを呼び出すと、奥の戸が開いて、白髪交じりの男性が顔をのぞかせた。予告状の件で頭がいっぱいなのだろう、眉は八の字で目はきょときょととしているが、ノルマンを見るとはたと気付いて足早に近づき握手を交わした。二人は魔法学校高等科以来の旧知の仲だという。
応接室へと案内されると、ノルマンは現状を把握していることを告げて、力になりたいと申し出た。落ち着きのないオーナー、モリス氏は震えながらホットコーヒーに角砂糖を5つも入れていたが、ふと顔を上げてカミュを見た。先にノルマンが紹介したはずだが、狼狽で焦点が合っていなかったのだ。眼鏡をかけなおして、少年を見つめるとぎょっとする。
「ど……どうしたのよ」と、心配してソファに回り込み背中をさするノルマン。
「ワ……ワ……ワルキューレ!!」
モリス氏によると、カミュが絵の中の人物と瓜二つだというのだ。氏はあたふたと立ち上がると、二人を連れて展示室へと移動する。
展示室は暗く長い廊下になっていて、王室コレクション展という名にふさわしく、煌びやかな装飾品や麗人の絵画が壁に沿って等間隔に飾られていた。それぞれの展示物は壁や天井に取り付けられたスポットライトに照らされているが、この照明は炎やガスではなく、太陽光から変換・蓄積された魔力を利用している。アーチで区切られたフロアごとに監視を兼ねた学芸員が椅子に座っている。
奥まで行くと、3メートルほどの観音扉が開け放たれていて、ドーム屋根の塔に繋がっていた。塔といっても近隣の日照環境を加味して申し訳程度に作られた3階建ての住居ほどの高さで、吹き抜けの上部八方にに小さな窓が明り取りのように開いていた。正面には、企画展の目玉である『永遠 なるワルキューレ』が掛かっていた。
「へえ……これが『永遠 なるワルキューレ』……。たしかに、カミュ君にそっくり」
「これ、僕?」
思わず触りそうになって、「ダメよ」とノルマンに腕を引っ張られるも、近づきたくなる気持ちがわからなくもない。自分と生き写しの人間が絵の中で微笑んでいるのだ。陽光に燦然と輝く金色の髪、象牙色のきめ細やかな肌に上気してバラのように色づく頬、榛色の瞳は光を映じて緑にも茶にも見える。絵画とは思えないくらい写実的だ。
まるで合わせ鏡だが、唇の色と首から下は異なる。絵の人物は紅を塗っているのか、鮮やかな口元である。ワルキューレという画題だ、女性なのだろう。また、カミュは薄茶の麻シャツにサスペンダー付きの半ズボンと軽装なのに対し、絵画の人物は華奢な体に鎧を着ていた。ユリの彫り物が施された黄金の甲冑をまとい、腰には真紅の布が風に靡き、左手には淡く発光する水晶玉を右手には長剣を握っていた。柄頭には2羽の鷲が王冠を戴く紋章が描かれ、彼女が魔法戦士であることがうかがえる。
「油絵ね。F25の張りキャンバスってとこかしら」サイズを目視で測ると、ノルマンは右下のサインに注視し、
「これ……。そっか……この絵がそうだったんだ……」髭を弄りながら呟いた。
「ノルマン君、この絵は王室からお借りした大切な絵なんだ。予告状が届いたとき、展示を中止して全ての芸術品を返戻しようかと思ったんだが、町長がそれだと窃盗団の食いつくエサがなくなると言ってね。強引な人だよ。しかし、この絵は国王陛下が忘我されるほどお気に召している絵画で……」
「そんな大切な絵をどうしてこんなしがない美術館に?」気心の知れたノルマンはモリスにずけずけと訊く。
「それが不思議なことに陛下達てのお望みで、タジールの美術館に期間限定で展示してほしいとおっしゃられたそうだよ。学生の多い街だから、美術の勉強などで若い子たちの情操を育まれたかったのかもしれない」
「へえ。俄かには信じがたいけど。まあいいわ。で、さっきの作戦は聞いたでしょう?」
ノルマンは二人に目配せすると、作戦が漏れ聞こえないように塔の扉を閉めた。戸が閉まると声はより一層反響した。
「うーん。君の持っている超アートのことは有名だから知ってるけど、全然別な絵がかかっていたら塔の中に入ってこないんじゃないかなあ」
「え」
「この塔、上部に窓があるんだけど、今夜は満月だし明るいと思うよ?」
「あの窓は嵌め殺しですか?」カミュは指さして訊ねた。
「ええ」
「じゃあ、こんな風に景色だけ変えましょう」指をパチンと鳴らすと、窓から差し込んでいた太陽の光が消えて、塔の内部は瞬く間に真っ暗闇となってしまった。
「え?何したの?」ノルマンとモリスは顔を見合わせる。
「この塔の半径10メートル四方に魔法の覆い幕を設置したんです。結界じゃありませんから、出入りは自由ですし、外から幕は見えません。これなら暗くて絵が見えないと思いますけど……」超アートはどこで力を発揮できるのか。アジトにつくまでに絵を見ることで、一味を錯乱に陥らせたい。
「てか、どこから侵入してどこから出るのかしら?それも問題よね」
「上部の窓は下から見ると小さく見えるが、小柄な人が四つん這いでくぐれるくらいのサイズだよ。いずれかの窓を割って入ってくるだろう。ただ、このサイズの絵画を持ってあそこから脱出することは不可能かと」
「でもこの絵は張りキャンバスでしょ?モリスったら、美術商歴長いのに抜けてるわね。フレームから取り外して巻いてしまえば、容易に持ち運びが可能だわ。脱出経路もきっと同じじゃないかしら……」
「なるほど。では、あれを使いましょう」カミュはノルマンに目で合図して、にこりと笑った。
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