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15-5 大喧嘩
***
カミュとノルマンは美術館を後にすると、中央広場の方面へと歩き出す。馬車を近くの駐車場に止めておき、閉館後に絵を取り換える段取りになったのだ。後はノルマンとモリスがやってくれるという。そして、ワルキューレは一時避難という形でノルマンが村に持ち帰ることになった。国の宝と言うべき『永遠なるワルキューレ』が、国王側の許可なく個人宅に移されるのだから、心許ない気持ちになる。
「ノルマンさん……あの……。絵を見たとき、知っているようでしたけど」
彼が絵と対面したとき、「この絵がそうだったんだ」と呟いたのがカミュには気がかりだった。
「ああ……わりと地獄耳ね。カミュ君は」ノルマンは苦笑した。
「『永遠なるワルキューレ』をお目にかけたのは初めてよ。けど、サインがね、甥っ子のサインだったの。あの子が描いたのよ。以前、宮廷画家をやっていたからね」
「えええ!!すごいじゃないですか!!」
「……まあねー」
鑑賞者を惑わせる超アートの作者が、王室コレクションの作品を描いていたとは驚きだった。しかも、自分と瓜二つの女性をモデルにしているのだ。しかし、ノルマンは浮かない顔をしている。
「どうしたんですか?」
「んー。裏に日付が描いてあったんだけど、多分あれが甥っ子のまともだったころの最後の作品。“まとも”っていうのも失礼かもしれないけど……」
「どういうことですか?」
「宮廷画家やってた頃に心を患ってしまってね。失恋が原因みたいだけど……。十五、六年くらい前かなあ、傷心の彼がうちのお店にあるような混沌とした絵を描くようになったのは」
「そ……そうだったんですか」
「しばらくうちに入り浸って不思議な絵を描いていたんだけど、今は行方知れず。風の便りに聞いた話では、どこか人里離れた森の中で織物をしながら細々と生計を立てているそうよ……」
「織物ですか?」
「甥っ子は力がさほどないからね。アレンさんのように木こりとか力仕事は無理だけど、人付き合いが嫌で山に篭ったみたい。絵筆は折っちゃったようだし、魔法耐性のあるローブの布なんかを織っているそうよ」
「どこかって、場所は……」噂で話を聞いたというのなら、探し出せるのではないかとカミュは思った。
「たとえ住居を探し当てたとしても、うちは会いに行けないわね。……ひどいこと言っちゃったし。両親死んじゃったから、うちが唯一の身内なんだけどねえ」ノルマンは暗い顔で言った。
「ご……ごめんなさい。突っ込んだこと聞いちゃって」
「いえ。いいのよ~。でも気になるなあ。さっきの絵、カミュ君にそっくりなんだもん。失恋相手ってひょっとしてカミュ君だったのかな」と、ノルマンは肘で肩を突いてくるので、
「僕、その頃生まれていたとしても赤ちゃんですよ……」と、赤ら顔で押し返す。
へどもどしながら歩いていると、交差点の角から曲がってきた人影とぶつかってしまった。大きな体に突飛ばされて、カミュは道の両脇にあるフェンスにぶつかりそうになるのを、誰かに受け止められる。抱き寄せられた太い腕はカミュの知る色艶の肌だった。この抱かれ心地は……
「ア……アレンさ……」
「カミュ!?……何でここにいるんだ?」
アレンはひどく驚いて、手を離して距離を置く。その脇にはギルドの女主人マールもいた。
「……?どうやってここまで来たんだ?」
馬は自分が乗ってきた。カミュは村まで歩いたのか?徒歩だと2時間以上かかるはずだ。視線を逸らすと、魔法雑貨屋の店主が顎を上げ胸を反らせてその存在をアピールしていた。
「ミスター・イーグル、一昨日ぶりですね」と、ノルマンは自分が一番美しく見えるだろう角度で恭しくお辞儀した。
アレンは眉根を寄せ、カミュの手をひったくると縺れる足も気にせずに自分の傍に引き寄せる。
「あなたがカミュを町に連れてきたんですか?」険しい顔でノルマンに噛みつくように訊ねた。
「ええ。御宅までカミュ君を迎えに上がって――あ、やましいことは致しませんでしたよ。レイナ嬢も同行してましたし――、その足でタジールまで送りにきたんです。……カミュ君達てのご要望で」ノルマンは全く悪びれずさらさらと弁明をする。アレンの厳しい目が今度はカミュに向けられた。
「カミュ。どうして小屋で待っていないんだ!悪い子だ!すぐに家に帰れ!」肩を掴むと上から威圧的に怒鳴り始めるアレンだが、カミュも負けてはいない。
「僕は子供じゃない!アレン!小屋にいろなんて一言も言われてないからね!あんたは僕を置いて無断で出て行ったんだ!馬がなければどこにも行けないとでも思った?」
「お前はここに来てはいけなかった。すぐに帰れ!馬車を手配するから」
「いやだ。絶対帰らない!」カミュはアレンの腕を払って、怖いもの知らずの子猫のように威嚇の抗弁をする。
「ま……まあまあ」と、キルトン嬢が慌てたように二人を制す。
往来で大喧嘩をおっぱじめたものだから、この凸凹コンビは道行く人々の目を一身に集めていた。ノルマンは茫然と見ている。
「行先さえ言わずに僕の前から消えて……許されると思ってんの?アレンの馬鹿!!……僕がどんなに不安だったか、知りもしないで」と叫ぶとカミュはわんわん泣き出してしまった。
「はあああ。アレン……あなたまた言わなかったのね。馬鹿もほどほどに……」呆れかえるマール。
「だって……」
カミュに話せば、また引き止められたり、邪魔をされかねない。それに先日タジールで怪我を負ったし、自分が目を離したときにまた危険に巻き込まれるかもしれない。馬鹿とは心外だ。
「だって、じゃないわよ!あんたの方が大人なんだからしゃんとしなさい。カミュ君相手に熱くなりすぎよ。ま、とにかく来ちゃったものはしょうがないわ。今更、帰らせる意味もないでしょう」
「でも、これからが肝心なとき……」
「悪いけどカミュ君を送る馬車代なんて用意してないの。ノルマンさんと馬車で来たってんなら、二人で仲良く帰ってもらってもいいけど」マールは薄目でいじましく笑むと、アレンは苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振った。
「そう。じゃ、仲直りなさいな。私、宿部屋の変更してくるから、散歩でもして頭冷やしなさいよ~」と、キルトンは口をポカンと開けて佇むノルマンの腕を引っ張って連れて行ってしまった。
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