73 / 108
15-7 密室完成
***
カミュが風呂から上がると、代わり番にアレンが入る。普段は使えないような上質なタオルで髪を叩いていると、アレンがすっとうなじに鼻を近づけた。カミュはきゅっと口を結んで羞恥心を隠すと、アレンを睨んで早くシャワーを浴びるよう促した。試合で相当体を動かしたのだろう、男特有の汗の臭いを発していた。また、そろそろ夕飯時なので、アレンを風呂場に行かせたのはカミュの都合も良かった。
少年は呼び鈴でボーイを呼びつけると、食事の支度を始めるよう言った。
ボーイがいなくなると、カミュは手始めに部屋の四隅を順繰りに回り、角に指で魔法陣をなぞっていく。これは結界の準備であり多少の時間がかかるが、アレンが風呂から出てくるまでには十分間に合った。
それが終わると、ナップサックに入っていた紙袋から二種類の箱を取り出し、側面の用法などをよく読んだ。
二つの箱にはそれぞれ小瓶が入っており、一つは軽い睡眠導入剤だった。副作用もほとんどなく、普通の人間なら30分もしたらたちどころに眠くなって、自ら寝床に入って熟睡するという顆粒タイプの薬だ。
もう一つは、先述の薬が効きづらいときに飲ませてとノルマンに言われた重い睡眠薬だった。錠剤だが、一定時間かければ水に溶かすことも可能だという。こちらの薬は取扱注意で、用量を守らないと二度と目覚めないような強い作用のある薬だった。カミュはベッド脇にあったガラスの水差しに注がれている水の量を目測し、薬を2錠入れた。ここまでして時計を見ると午後5時を回っていた。アレンの鼻歌が脱衣所から聞こえる。風呂から上がったのだろう。
ノックが聞こえて、ボーイが料理を運んできた。ディナーのメインはチキンフリットで、ガーリックソースの芳ばしい匂いが漂ってきた。新鮮なコールスローに小さなポテトサラダが添えられており、パンとポタージュもついている。赤ワインはマールからの差し入れだという。今日の快勝を労ってのことだろう、豪勢な料理だ。
カミュはボーイにコルクを抜くようお願いし、彼が去ったのを見計らって、付属の薬匙で粒剤を計り取ると、薬包紙を使ってボトルへさらさらと入れた。
バスルームのドアノブに手が掛けられた時、カミュははっと気づいて指をパチンと鳴らした。すると、窓外の景色は漆黒の夜へと姿を変え、四隅になぞった魔法陣が一瞬輝きを放ち、外部からは誰も侵害しえない密室が完成した。
***
「カミュ、話したいことがあってな」
アレンはカリカリに揚げられた分厚いチキンをナイフで捌きながら、話し出した。すでに乾杯を済ませ、カミュのソフトドリンクとともに、彼は赤ワインを口に含んだ後だった。
「ん……」カミュは食事を止めて、アレンの顔を見た。いつになく真剣な顔をしている。
「今日、町の道場で真剣試合をして、道場主のお師匠にも勝つことが出来たんだが。その後で、俺の剣は大した腕前だそうだから、城下町に行ってみないか?ってお師匠に言われたんだ」
「じ……城下町っ?」カミュは絶句する。
「ああ。城下町の衛兵に推薦してくれる話かと思ったんだが、そうじゃなくてな。彼の大師匠で、高名な剣豪が開いている道場が城下町にあるんだそうだ。ギルド冒険者や剣士、武道家を育成しているそうだが、そこに行けば師範代くらいにはなれるだろうと言われたんだ」
アレンは顔の前で手を組み、いつになく野心のみなぎった目でカミュに語りかけた。カミュは呆気に取られて開いた口が塞がらない。
「お前が言いたいことはわかってる。性に合わないだの、井の中の蛙だの、いろいろ思うところはあるだろう。俺も上には上がいるのは承知しているが、町のお師匠に自分の力を信じろと言われたんだ。自分の人生に投げ槍になるなとな。たとえ、行った先で惨敗を喫したとしても、俺はそこから這い上がれると思う」
「ア……アレンさ……」
「勿論、お前も連れていくよ。心配しなくていい。……応援してくれるか?」
「ま……待って……。木こりは?木こりの仕事はどうするの?」
「……木こりか。たしかにその仕事も俺の性に合わないわけじゃない。カミュも俺が木こりとして一生懸命働いていたのは見ていたろうが、俺の手は斧よりも剣の方に馴染みがある。それに、木こりは俺以外にも世界中にごまんといるが、城下町で活躍できる武人は一握りだ。片手剣のスキルがあると達人に見込まれたのなら、武術を活かした方が人のためにもなるだろう?俺はまだ若い方だと思ってるし、夢を持ってもいいだろう」
アレンはワインを飲みながら、やや饒舌気に弁を振るった。
「……」カミュは黙ったまま、アレンの目を見つめた。
「賛成してくれるか?……無論、師範代になれるかわからんし、たとえなれたとしても給料は安定しないかもしれないが、城下町のギルドでクエストを受ければ、報酬はこの辺りの倍は貰える。その分、物価も高いらしいが」
「……それって、危険が伴うよね」
ハイリスク、ハイリターンだ。カミュはナイフとフォークを置いた。もう食欲が起きない。ナプキンで口を拭うと立ち上がって、アレンに背を向けた。
「ああ、でも……何とかなるさ!やってみなきゃわからないだろ??」
アレンの力のこもった言葉に、カミュはふらつきながら窓辺へと寄ってカーテンにしがみつく。窓外は彼がセットした魔法の垂れ幕で、星ひとつ見えない。頭が痛い、どうしてこうなってしまったのだろう。しばらくの沈黙の後、
「そんな楽観的な目測じゃ、人生見誤るよ!」と振り向いて、カミュは愕然とした。
アレンの様子がおかしい。テーブルに前のめりになり、肘をついて手で頭を押さえている。体がぐらぐら揺れている。
「アレン!大丈夫?」駆け寄ると、手首を握られた。男の熱い吐息が顔にかかる。
彼はなぜか歯を食いしばっていたが、顔を真っ赤に染めて、今まで見たことがないほどに目を潤ませていた。
ともだちにシェアしよう!