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16-4 窃盗犯

 ノルマンと別れのハグをすると、カミュは大型犬に跨った。以前作りだした幻影とは異なり、触れても透けることはなくレトの背に乗ることが出来た。  首に腕を回して耳元で術を唱えると、ワンと吠えて塀を垂直に駆け上がる。いきなりスピードが出たので、カミュは悲鳴を上げた。体を重力に引きずられ、足は犬の胴体を離れてぶらぶらとしながら、首に回した腕だけで掴まっているような状態になる。が、塀の上まで行くと、犬は立ち止まったのでやれやれと態勢を整える。  慌てたノルマンに「大丈夫??」と声をかけられて、カミュは振り返って手を振った。  犬はくんくんと鼻を鳴らすと、方向が定まったのか塀の向こうの屋根へと飛び移った。凸凹の瓦屋根を勢いよく走るものだから、振り落とされそうになるのを必死でしがみつく。  鞍や鐙などがないから大いに揺れて乗り心地は最悪だが、賢いので言うことは従順に聞いてくれる。犬の本来の能力に召喚者の魔力や応用力が付加されるため、壁を垂直に走ったり、大幅に跳んだり、命令に素直に従ったりしてくれるのだ。さらには召喚者の想像力によって、姿を変えることも出来るという。  レトは家々の屋根を跳び越えつつしばらく走り続けると、川岸の道に軽やかに飛び降り、舗装されていない道路を川に沿って走り始めた。黒い川の流れが沈みゆく満月の赤光に波型に煌めき、石垣で固められた岸辺には柳が枝葉を揺らしている。周囲は住宅も疎らで人気がなく、往来にも対岸とを結ぶ石橋にも人の姿はない。そのような背景に少年をのせた犬が疾走する光景は、物寂しい冒険譚の挿絵のような異様さがあったが、一人と一頭はただひたすらに走り続ける。巻き上がる土煙を吸い込まぬよう、カミュはレトの首元に突っ伏していたが、目だけは先を見据えている。  ——どうして、窃盗団はあの絵を盗もうとしたのだろう。  僕にそっくりのモデルさんが描かれた不思議な絵。ノルマンさんも言ってたけれど、甥御さんの心が病んでしまう前に描かれたあの絵にはきっと深い思いが詰まっている。ノルマンさんの甥御さんはきっとあの人に恋をしていたんだろう。あの人は一体どんな名前で、まだどこかで生きているんだろうか?  僕に瓜二つの人……。と、ふいに先日魔法学校の中庭から声をかけてきた銀髪の少年を思い出した。  あの絵の人とは僕ほどに似ていないけれど、雰囲気は僕に似ていた。近しいものを感じたのだ。レティシアって呼ばれていたっけ。あの子とだったら、もっと話をしてもよかった。長いまつ毛に覆われた円らなグリーンの瞳をしばたく様は、気品に満ち溢れていたが、僕を見下したりはしてなかった。おかっぱの銀髪は少女のように愛らしくて、その外貌の通り優しく声をかけてくれた。写生していたバラの絵まで目に浮かぶようだった。高貴な人ってああいう子のことを言うんだな。  ぼんやりと思いにふけっていると、レトが急に止まったので前のめりになった。犬は激しく息を吐きながら、背から降りたカミュの頬を舐めた。ありがとうと小さく囁く。目の前には高い塀と門があり、塀の先に見える屋根の形質からそこが工場だということが分かった。レトは長い舌で鼻を舐めて、地面に擦りつけながら門扉の下の匂いを嗅いでいる。 「そうか。ここなんだね」  鉄扉には鍵穴が一つあるが、幸いに鍵は掛かっていないようだ。カミュは左右を振り返り、往来に人のいないことを確かめると、体重をかけて戸を押した。  ゆっくりと視界が開かれると、月明かりに照らされた広い敷地があり、二、三の木々と工場が長い影をなしていた。トタン造りの建物の一方には大きな引き戸があり、人一人が通れる位開いていた。外から見るに中は暗い。カミュは、レトとともに塀沿いを忍び歩き、最寄りの影から入り口に向かって音を立てずに走った。  目が慣れると、暗がりに一筋月明かりがさしていて、その真下に誰かが倒れていた。黒い小さな人影だ。用心に越したことはないと息を詰め、乱雑に置かれた資材や土嚢、樽などに隠れながらそっと近づく。すると、そこにはカミュよりも小柄な少年がうずくまっていた。傍らには広げられた超アートがあったので、心を惑わされぬよう視線をそらしてキャンバスを丸める。その間も、少年の方に注意を払うことを忘れなかった。 「この子が、絵を盗んだ犯人?」  確かに展示していた塔の小窓は小さくて、大人がそこから侵入するのは難しいと感じていたが、子どもにやらせるなんて。窃盗団に子どもがいるとは驚きだった。こんな稚い寝顔をした子に、絵を盗むよう命じた者はどんな人物なのだろう。許しがたい。  何はともあれ、ここで絵を開いたということは、彼が自分の戦果を確認しようとしたのであり、団員と待ち合わせしている可能性が高い。僕も早く隠れないと、と思った矢先、カミュの横面に強い光線が当てられた。眩しさに目を瞑るのと同時に、パッパッパッと工場の照明が点灯し、身を潜める間もなくさらけ出されてしまった。 「おや。俺としたことが、絵を盗んだはずが、意外なものを拾ってしまったようだ」  手を叩きながら近づいてくる男は、黒いマントを気障ったく肩にかけ、白いマスクで目元を覆っており、口元だけが露わとなっている。 「絵の中から出てきてくれたのかな?」  含み笑いをする口元とその声に、見聞き覚えがある。しかし、どうしたらいいかわからず周りを見回すと、木箱の影からガタイのいい男たちが複数姿を現した。彼らは一体いつから潜んでいたのだろう。まるで、自分を罠にかけようとしていたみたいだ。 「ラスタ!起きないか!みっともないぞ」と、男は倒れ伏している少年に近づいて尻を蹴った。少年は呻きを上げて、目を擦ると男を見上げて驚きに跳ね上がる。その様子を見るに、絵の効果は薄く精神までは侵されていないようだ。カミュは少しホッとした。 「偽物を掴まされおって!まあ、その代わり面白いものが手に入ったがな」  男はカミュに近づいて、くいっと顎を持ち上げると、くつくつと笑い出した。

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