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16-8 擾乱の動機

***  冷たい床の上で寝返りを打とうとして、節々の痛みにカミュは目を覚ました。昨晩、愛されたところが熱を持っているのがわかる。しかし、それだけではない。瞼が重く、やっとのことで目を開けても視界がぼやけている。ようやく慣れてきたと思ったら、見たことのない高い天井があった。ワルキューレの絵が掛かっていた塔の内部に似ているが、どこか空気がひんやりとしている。 「目覚めたようだね」  近くに設えてあった古ぼけた椅子に凭れ机に足を掛けていたマスクの男は、振り向いてにこりと笑うと足を下ろし音もなく立ち上がった。 「ここは……どこ……ですか?」  カミュは下腹の疼きを隠すようにゆっくりと上体を起こし、当惑しながら訊ねた。 「盗賊団のアジトだよ」 「……!僕を解放してください」ゆらゆらと歩み寄る男に、少年は後退りしそうになるのを耐えながら叫ぶ。 「解放だって?自ら首を突っ込んでおいて、それはないだろう!それに君は重要人物だ。手放すわけなかろう」 「僕が重要人物?意味がわかりません」 「わからない?自分の顔を見たことがないのかね」 「顔?……ワルキューレとそっくりだから、僕を攫ったということですか?」 「まあ、早い話がそういうことだ。君はあの絵の人物がどういう人か知らないようだね」  男はせせら笑ってカミュを嘲る。 「……」 「あの絵はね、エドゥアール現国王の想い人で、三代前の魔法戦士隊長だったレティシアという女の肖像画だ」 「レティシア?」  どこかで聞き覚えのある名前だ。そうだ、魔法学校にいた銀髪の少年が呼ばれていた。 「知らないかね?黒魔法の天才、だけでなく、闇魔法の研究にも取り組んでいた、冷酷無比な女だよ。彼女は妾腹の血のせいか男をたぶらかすのが得意でね、エドゥアール王にも上手く取り入って、王妃にまで上りつめたのさ」 「レティシアという方が、モデルだったのですね……」カミュが呟くように言うと、男は頷いた。 「その方は……」 「死んだよ。私の主である大公ジェラール様の計略で毒殺された」 「えっ」坦々と語られる事実に身の毛がよだち、カミュの顔は真っ蒼になった。 「そう驚くことでもなかろうに。王妃は病死ということになっているが、毒殺説はこの大陸の者なら一度ならず、耳にしたことがあるはずだ」 「……それで。それが、僕に何の関係があるんです?」 「タジールの美術館で王室コレクションの作品に『永遠なるワルキューレ』が含まれていた理由さ。……エドゥアール王とレティシアの間には子がいた。その子は王妃殺害の前にやはり大公の指示によって誘拐され、殺害されている」 「……」 「全ての陰謀が露見し大公は囚われて裁判の後に処刑されたが、謀反の詳細は公にはされなかった。そして、彼らの死んだはずの子どもはいつの間にか魔法学校に入学していた。一体、どういうことだと思う?」 「……」そんなことカミュには知る由もない。 「ジェラール様が妾の女に産ませた庶子をよりによって、第一後継者としたのさ。秘密裡にね」  魔法学校にいた愛らしいあの子のことだろうか。同じレティシアという名前だが、国王がすり替えた息子、それも敵である大公の息子に亡き王妃の名前を付けたとしたら、悲哀な話だ。 「なぜ……」 「なぜかって?血筋がいないからさ。国王の妹は愚かにも異端(ヘレシー)の棟梁なんぞと駆け落ちしてしまうし、親族縁戚は謎の奇病で短命だ。血が濃いせいだと言われているが、とにかく跡を継ぐ者がいない。だが」 「エドゥアール王は、自分の息子が死んだとは思っていない。俺は赤ん坊の死体を確かに見たが、王は未だに存命を信じている。だから、年頃の学生が多いタジールにあの絵画を展示して、容貌の似ているものを密かに探しているのだ」 「そ……そんな」 「折しも都合よく君が現れてくれた。俺は亡き大公殿下に忠義を尽くすため、君を使って一計を講じようと思っている」 「君を殺された王子の代わりとして擁立するのだ。まず、今の王子が謀反人の大公の子息であることを公表する。そして、レティシアの生き写しのような君を擁立することで国家を騒擾させる」 「ま……待ってください」カミュは男の言葉を制して言った。 「その……今の王子はあなたが仕えていた大公のご子息なんでしょう?なら、……問題ないじゃないですか」 「ふん。わかってないな。あれはジェラール様の庶子。嫡子が国王の世継ぎになるならば話は別だが、殿下は大公に連座して処刑された。若くしてな……。俺は国家を擾乱させるだけで十分だ。そのためには、あんたのような偶然の産物というか、駒が必要なのさ」 「僕は駒ですか……」 「そうだ。国王を苦しめるために必要な者さ。とはいえ、王妃殿下に生き写しのその体は大事にしてやろう。さあ、俺達と手を組もう」  ——手を組むだって?冗談じゃない。僕はそんな王室のことに関与する気もなければ、何の欲得もない完全な部外者だ。瓜二つだからと言って、彼らの悪行になぜ付き合わなければならないのか。 「嫌です。あなた達が僕を誘拐した理由は分かったけれど、協力は出来ません。僕を帰してください!!」  カミュは叫んで、アレンに禁止されていた黒魔法の呪文を詠唱しようとした。はずだったが、手に魔力が宿らない。と、手首と足首に鈍色をした金属の輪が拘束具のように嵌められていることに気が付いた。 「こ……これは、何です??」 「魔枷(まかせ)だ。魔法陣で君の魔法を封じてやってもいいのだが、移動が簡単なこちらの方が有用だ。それに、魔枷は特殊でね。詠唱魔法だけでなく、あまり使い手のない非詠唱の魔法の効力まで無効になる。君は魔法学校で、その片鱗を見せたからね」 「魔法……学校……」 「ここにいるのが目撃者だよ。忘れてしまったかね」  ふと、男の向こうに並んでいた部下と思しき者たちの一人が足を踏み出して、カミュはあっと呻いた。魔法学校の校門で、人目を欺いて淫行を働こうとした警備員の男が盗賊然として、卑猥な笑みを浮かべていたのだ。

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