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16-15 車上の悪夢

***  俺は一人街角に立っていた。  独特な雰囲気は、ペガススの街ではない。おそらくドラコ大陸のどこかの村だろう。  赤茶色の土の道路に風が吹き荒れて砂埃が舞い上がっている。  強い日差しに俺は目を細めた。  不意に頬に圧を感じると、周囲の家々の窓が一斉にパリンと割れて炎が噴き出した。  あちこちから火の手が上がり、村人たちが慌てふためいて往来で逃げ惑っている。  村人たちは俺にぶつかってきたが、俺の体を通り抜けていく。実体がないのだ。  夢なのだろうかと思い、俺はゆっくりと角を曲がると、切り刻まれた血塗れの死体や体の一部を切断された死体がいくつも転がっていた。それらには顔が無かった。  悍ましさに目を背けて、死体の山を素通りしていくと、いつの間にか森に来ていた。  燦燦と照りつける陽光も木々に遮られて柔らかい木漏れ日となって、足元に降り注いでいる。  爽やかな風を肩で切り、涼しい小鳥の囀りを聞きながら歩いていくと奥に泉があった。  小屋の近くにある丸い泉によく似ている。そして、泉の傍に佇む子供の姿があった。  ——カミュ……。  今のカミュよりずっと幼く見えるが、間違いなかった。彼は泣いていた。  手を伸ばそうとしたその時、空から腹を裂かれた女の死体が降ってきた。 *** 「……!!!」  アレンはガバっと体を起こした。 「どうしました??」周りにいた男たちに心配げに声をかけられる。 「ここは……そうか……」  体が揺れているのは馬車の上だからか、と周りを確かめて息を吐く。  アレンは馬車の中心に寝かされていた。皆の足元である。 「アレンさん。大丈夫ですか?急に頭が痛いと倒れて、びっくりしましたよ。僕たちは村に戻る途中ですよ」  若者たちは互いに顔を見合わせて、アレンの意識が戻ったことにほっとした様子だった。 「爺さん達は?」 「埋葬しました」 「悪かった。手伝えなくて」 「いえいえ。とんでもない。エリーさんを見つけてくださいましたし」 「……」助けてやれなかった悔やみしか残らないが、とアレンは苦い顔をした。 「そ、それに今日は魔物をたくさん仕留めましたから、疲れが出たのです。村に着いたら夕食を召し上がって、すぐにでもお休みになってください。無理をしてはいけません」エリー達のことはタブーと察して、若者たちはアレンに気遣いをした。が、アレンは別のことを考えていた。  ——ダースリカントは、どうして小屋を襲ったのだろう。やはり先日、一頭殺したのがきっかけで今回の襲撃が起きたのだろうか。だとしたら、あんなものでも知能というか情を持っているのだろうか。復讐心や団結心というのは人間だけが持つものではないのだな。  ——俺がそれを見越して、ダンケル達を村に住まわせておけば難を逃れたかもしれない。いや、俺が小屋を見張ってやっていても良かった。あの時、爺さんにエリーとの結婚を勧められた時に断っていなければ……  いいや、とアレンは激しく(かぶり)を振った。それはない。俺にはカミュという家族がいるし、妻子ある温かい家庭を築けるかもしれないという誘惑はあっても、彼らはただの依頼人だ。でも、助けることはできたかもしれない。  先の悪夢の中で空から降ってきた女の顔は、エリーだった。どうしてもっと早く助けに来てくれなかったのと、その口が恨めしそうに言った。俺はどうすればよかったのだ。どうすれば、あんたたちを助けることが出来たんだ。  際限のない自問が繰り返されて、頭を抱え込んでしまうと、青年の一人がアレンの肩を叩いた。他の者たちもアレンを心配げに見つめている。 「駄目です。物思いに沈んでは。村に戻ったら、すべきことがまだたくさんあります。明日から頑張るためにも、今夜は頭を空っぽにして休んでください」 「……ああ」  アレンは頷くとぼんやりと車窓を眺めた。日は暮れて、月が出ている。ほぼ満月の形をしているが、やや歪んでいるようにも見える。  昨晩は雲一つない夜だったが、カミュとの事後に窓から見上げても星ひとつ見えなかったという疑問を不思議と覚えていた。それとともに、水を飲んで倒れこんだ時のカミュの冷気の漂う顔も忘れることは出来なかった。  ジークという男の言うように、催淫剤とやらを飲ませたのがカミュだとしたら、どうしてそんなことをしたのか問い詰めなければならない。悪い子には仕置きをしなければならないな、と考えあぐねていると、馬車が村に着いた。 北の入り口から東部の避難所までの通りを走っていくが、ダースリカントに襲われた人々の亡骸はすでに移されたようで見当たらなかった。あのままにしておくのは忍びなかったのだろう。  避難所に馬車を着けると、心配げな面持ちのマールと顔があった。俺はわかりやすいのだろう。流した涙の痕がこびりついていたのかもしれない。いや、あの老人達が馬車から出てこなかったから察したのかもしれない。駆け寄ってきて背中に手を回されると、促されるようにため息を吐く。 「夕食の準備が出来てるわ。でも、その前に皆で祈りましょう。突然の襲撃で呆気なく命を奪われてしまった無辜の人々のために……」 「……」アレンは無言のまま俯いた。 *** 「カミュは村にいないな……」  祈りと食事を終えて、俺はマールに確認するように言った。 「ええ。私は見てないわ。レイナさんにも探してもらっているけど……」  図書館に勤務しているカミュの友人サンドレー嬢にも協力してもらっているらしい。 「そうか……」 「も……勿論、犠牲者の中にはいないから!……そんな顔しないで!!」  マールに慰められて、自分が辛そうな顔をしていたことに気付く。 「すまん……」  重い空気が流れてしばらくの沈黙の後、 「「あ、あの!!」」と、二人が同時に声を発した。どぎまぎして互いに目を反らす。 「あ……。悪いが、明日もう一度町に行ってもいいか……?」 「あー、私も今それを言おうとしてたのよ」マールは相槌を打った。 「こんな非常時に申し訳ないが、カミュが心配で……」 「そりゃそうよ!あなたはカミュ君の保護者だもの。心配するのは当り前よ」 「あいつ、勝手にいなくなって、どこでなにしてるんだか……」 「しっかりしているようでも、まだ未成年だからね。ちゃんと見ていてあげないと駄目よ!」 「村が大変な時に本当にかたじけない」 「いいわよ。そんなに謝らなくても。今日のあなたは大活躍してくれたじゃない。明日は町や隣村から支援が来るだろうし、あなた一人いなくてもなんとかなるわ。そうだ、馬車一台ただで貸してあげる。あたしの交渉次第だけど」貸し馬車屋と話をつけてくれるのだろう。 「ありがとう。恩に着る。……あ、あと、ノルマン氏も見かけていないよな」  感謝の言葉を述べながら、アレンのこめかみにピクリと青筋が走るのをマールは見て取り、 「え、ええ。見てないわよ。カミュ君と同行してたんでしょ、あのおっちゃん。何のつもりかしら。前途のある子を変な道に引きずり込まないでいただきたいものね」と、当たり障りなく答えた。 「無論だ」  ——あんな下心や外連味のありそうなやつがカミュの気を引こうなんて、百年早い。  アレンは歯噛みしながら同意し、マールは手をもみながら目を眇めた。

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