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*-1 遠い日

***  あれはもうずっと遠い昔の話。自分の背がまだ今の胸の位置くらいのときのことだった。  一人重いザックを背負い、両親達のいる隊商が到着しているであろう村に向かって砂漠をとぼとぼと歩いていたところ、小さなオアシスを見つけた。僕はふらふらと駆けて行き、湧き水を手ですくって喉を潤した。  少し休もうと辺りを見回した時に、大きな岩の傍で休んでいる男を見つけた。大柄だったので、岩陰から足がはみ出ていて、仰向けに寝ている顔には脱いだバンダナが掛かっている。  邪魔しては悪いと思ったので、僕は湧き水を水筒に満たし、濡らしたボロタオルを服から露出している肌に当てて冷やしていた。すると、 「日陰で休まないのか?」と後ろから声を掛けられた。  びっくりして振り向くと、休んでいたはずの大男が上体を起こして微笑んでいた。寝ぐせで乱れた毛先の赤い黒髪に、彫りが深く目鼻立ちの整った凛々しい顔。瞳の色は黒だが、光を映じて爆ぜたような火の粉がちらついて見える。筋骨隆々の体は日に焼けて健康的な褐色の肌をしており、この暑さで汗ばんでつやつやしている。  日陰に来るように手招きされ、僕はおそるおそる近づき隣にちょこんと腰かけた。怖い人ではないようだけど、何があるかわからない。警戒心を露わにしながら、距離を取りつつ男を見た。男の方はそんなことを気にも留めず僕に話しかけた。低くて穏やかな声だ。 「隊商の子どものようだな?親はどこに行った?」 「……先に目的地に着いていると思う」 「置いて行かれたのか?」 「……」僕は無言で俯いた。 「重そうな背嚢だな」と、男は片手でカミュのザックを持ち上げた。 「あっ。商品……」僕はそれを取り上げようとしたが、大人には敵わない。 「何が入ってるんだ?小さな子にこんな重たいものを持たせて、ついて行けなかったら置いていくなんて、ろくなパーティじゃないな」男は僕が嫌がるのも構わずに、ザックをひっくり返して中の骨とう品を見繕った。 「へえ。たいしたもん入ってないな。こんなガラクタ捨ててしまえばいいのに……」  僕はその言葉にはっとした。商品のことを言われているに相違ないのに、置き去りにされた僕自身のことのような気がしたからだ。隊商にとって、僕はいわばガラクタだ。いてもいなくてもいい存在だから、売り物にすらならないようなガラクタを背負わされているのを幼いながらに知っていた。 「どうした?俺、何かおかしいこと言ったか?」  男は僕を見て慌てふためくと、懐から小汚いしわしわのハンカチを出して拭えと手渡した。その時初めて自分が涙を流していたのに気づいたのだった。  急に泣き出した子どもを前に、青年は決して嫌そうな顔をせず、背中を優しくさすってくれた。今思えば、赤ん坊か何かのようにあやしてくれたのだろう。 「お前、名前は?」 「……カミュ」 「俺はアレンだ。冒険者をしている。お前、どこまで行くんだ?」 「サヌハン」  父が教えてくれた次の村は、サヌハンだ。そこに隊商がいなくても、その次の行先も聞いていた。体力のない僕が群れから後れを取ることは、誰もがわかっているのだ。わかっていて、僕を見捨てているのだ。 「そうか、サヌハンか。ちょうど俺もこれから行くところだ。護衛してやろうか?」アレンと名乗る男はにこにこと笑いながら、僕の髪を撫ぜた。生まれてこの方そんなことをされたことが無くて、僕は頬を赤らめた。 「ご……ごえい?」 「荷物運びも兼ねてな」 「……それってクエスト?僕、……お金持ってないよ」 「ぷっ!クエストだって?ははは。確かに、俺はクエストで食ってる人間だが、子ども相手に金なんか要求しないよ。だが、お前の隊商の行先によっては俺の力が必要になることもあるかもな……」 「ちから?」 「身一つだが、戦闘には自信がある。お前を助けて隊商に恩を売っておくのもいいだろう」  アレンは身軽に立ち上がると、僕のザックをひょいと抱えて背中にしょい込んだ。彼は他に自分のナップサックを肩にかけ、大きな剣を拾い上げた。 「長剣(ロングソード)?」 「ああ。物知りだな!」 「それくらい、知ってるよ!」僕は頬を膨らませた。 「ムキになるなって。俺はこれが一番の得物だ。そして、命よりも大切な長剣だ。これさえあれば、お前も隊商も村の人々も、世界の平和も守れるよ」  アレンは鞘に収まったままの剣を振り回し、流れるような剣裁きを僕に見せた。柄頭には、勇ましい鷲の紋章が描かれていた。  僕の羨ましそうな、物欲しそうな顔を見て、アレンはくすくすと笑いながら、剣を背中と密着するようザックとの隙間に差し込んで、鞘の紐を胴体に結わえた。 「さ、サヌハンまで護衛仕ろう!カミュ殿下」と、貴人に仕える家来のように恭しく差し出された手を、僕は怪訝そうに握った。 ***  それから3時間弱歩いてようやくサヌハンに着いた。荷物は全てアレンが持ってくれたので、いつもよりは疲れを感じなかったし、初対面ではあるが旅の供がいて心なしか安らぎを覚えていた。  僕の隊商はいつも通り貧相ななりをして、砂塵の舞い立つ広場の中心に荷物を置いて陣取っていた。色あせた敷物に座り込んで疲れ切った顔のまま呆然としている。モノを売るでもなく、皆無表情で一言も口にしない。往来をゆく人々に胡散臭げにじろじろ見られている。僕が到着したのを見ても怪訝そうに顔をしかめてため息をつくだけだ。それはいつものことだが。僕とアレンは顔を見合わせる。 「お前の親は?」と、アレンに訊かれ、 「母さんはあそこにいるけど、父さんは今いない」  誰も荷を解いていないところを見ると、次の目的地に向けて旅の準備や交渉に行っているのだろう。父親はリーダーではないが、渉外的な役割を負っていた。 「お母上に挨拶に行こうか」と、アレンが意気揚々と声を掛けに行こうとするのを、僕は縋って必死に止めた。僕の護衛をしたなんて言ったら、謝礼を要求されたと思って憤慨する。アレンは振り返って首を傾げ不思議な顔をした。  とそこへ、父親が戻ってきた。父は僕を一瞥したが、にべもなく団員たちに話しかけた。 「これから、より大きな町テリュスへと向かおうと思っているのは、前日頭が話した通りだ。しかし、途中強い魔物が出るというので、道先案内にギルドで適材の冒険者を探してもらっている。いるにはいるそうだが、クエストからまだ戻らないらしい。しばらく滞在することになった。しけた村だが、我慢してくれ」 「しけた村だって?」聞き捨てならないという風にアレンが口を出した。 「なんだね。君は。関係ないだろう。若造のくせに口出ししないでくれ」父はアレンを睨み据えた。

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