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*-3 色街

 砂塵舞い上がる街中で、アレンの姿が小さくなっていくのを僕は逃すまいと追いかけたが、次の角で曲がってしまった。僕がそこまで駆けていくと、道端に佇んでいた数名の男女の一人が僕の肩を押しとどめた。皆、にやにやと口元を歪めて笑っている。 「ぼうや。駄目だよ。この先は……。君はまだ子どもだからね」  華美な服装に身を包んだ女受けのよさそうな男が、僕に優しく囁いた。 「……行っちゃいけないの?」 「ああ。子どもはね、まだ早い」そう言って、皆がくすくすと笑いだす。 「あの……アレンさんとお話ししたくて……。アレンさんは?」 「あ~。彼は常連だからね。ネリッサも待ってるだろうしな」 「ネリッサ?」 「恋人だよ」 「え……」僕の戸惑い顔に、女の人たちが笑いながら目を見合わせる。 「まさか、ぼうやも若君の恋人だとか言い出さないだろう?いくら好色なアレンさんでもそこまで守備範囲が広いとも思えないしな」 「こうしょく?しゅび??」 「まあでもこの子、数年もすれば見目麗しく育ちそうだから、こっちの世界に入るのも時間の問題かもしれないね」  目鼻立ちの整った男は僕の顔をまじまじと見つめて(うそぶ)くように言った。 「身なりはひどいが、この大陸にはあるまじき容貌をしているものなあ」  僕の髪を掴んで日に透かすと反射した光に眩んだのか、男は目を細めた。 「とにかく、この先は健全な子どもの立ち入る領域じゃないよ。お帰り」  女たちは口々に言って僕の頭をさらさらと撫ぜ、しかし嘲るように追い返した。  隊商に戻ると、彼らは宿は取らずに村の外で野宿をすると、大人たちがテントを張り始めていた。食事の準備は女子供がするが、肉は手に入らなかったようで、萎びた野菜の浮かんだスープが各人に配られた。  僕の分も小さな木の椀に盛られたが、いじめっ子が背中に体当たりしてきたので、太ももに掛かってしまった。湯気の立ったスープが脚にかかったものだから、僕は熱くて声を上げて泣き出したが、誰も心配したり咎めたりせず、失ったスープの代わりを注いでくれる者もいなかった。誰もが疲れ切っていて、周りのことに無頓着だったし、僕に関してはその生死すら彼らの関心事ではなかった。僕は慌ててズボンを脱いで自分の水筒の水を振りかけたが、足りなかったので唾液を手に垂らしてそれを患部に馴染ませた。  寝る段になると、幼い子どもは親のテントで一緒に寝るのが常だが、僕の親たちは自分たちのテントは狭いからとお前は外で寝るように言った。いつものことだったので、母のお古であるぼろぼろの毛布を引きずるようにして持ち出し、それに包まって仰向けになった。村の家々に灯る温かな色の明かりが目に映る。  ドラコは火山大陸特有の熱気に覆われ、平地は夏冬の寒暖差が少ないから、冬に野宿をしても凍死することはまずない。ましてや、今は夏だ。毛布に体を埋めると、体中に熱が溜まり多量に発汗する。けれども肌を露出していると、ヘビに噛まれたり、ネズミに齧られたり、病気を媒介する蚊に刺されたりしてしまうので、僕は極力毛布に密着して汗をかきながら眠った。  潜る前に見上げた夜空には数えきれないほどの星々が瞬いていたが、綺麗だと思うほどの心のゆとりはなく、ただただこの世界を疎ましく感じた。 ***  翌朝食事の前に、僕は他の子どもたちと一緒に井戸の水を汲みに行った。サヌハン村の中央には石造りの井戸が掘られていて、朝になると長蛇の列が出来ていた。旅人の僕たちは村の役人にお金を払ってあって、甕何個分とか決めて水を汲ませてもらうのだ。  ドラコ大陸は水道の整備されている町村の方が珍しく、旅の途中の井戸汲みは子どもの担当になっていた。僕は両腕で壺を抱えていたが、年上のくせに精神年齢の低い悪ガキたちの仕業で頭の上に一回り大きな壺をのせられ、バランスを取りながらよろよろ歩いていた。すると、後ろから彼らがけしかけた野犬が僕を追いかけて転ばせたので、大小3つの壺を盛大に割ってしまって、往来に水をぶちまけてしまった。全ての責任を擦り付けられた僕は、父に殴られ母には罵られ朝食は抜きとなった。  昨晩から何も口にしていない僕が腹の虫を鳴かせている所へ、昨日のギルドオーナーが訪れて、隊商の面々を見渡した。 「野宿ですか。旅の疲れもすっかり癒えたようですな」と、嫌みを言いつつ、そろそろ水先案内と用心棒の任を兼ねたアレンがやってくることを告げた。  半時(1時間)ほどしてようやくやって来た彼は待たせた割に軽装で、バンダナを被り、長剣と弓矢、小型の丸盾、楔帷子と脛当てを身につけているほか、荷物は小さなナップサックと水筒だけだった。 「待ちくたびれたよ」と、オーナーが言うと、 「悪い……。夜が明けてもなかなか放してくれなくてな」と、頭を掻いて笑った。 「この色男が」と、肘をつつきながら、彼に挨拶をさせる。アレンはすっと僕の方を見た。  僕の傍らにある大岩のような荷物に目が行ったのだろう。眉を顰めると、両腕を気だるげに掲げながらぶらぶらリーダーに近づいていった。焚火の前に据えられた丸太に座っていたリーダーは顔を上げた。 「なあ。俺は小さい子どもに大荷物を持たせるのは気に入らない。あんなに持たせたら、彼だけ後れを取るだろう。これから行くところは魔物の多い危険地帯だ。一人になったら、あっという間に魔物の餌食になるだろう。俺が任に就くというのに、犠牲が出るのは勘弁願いたいな。死人が出れば、評判も下がるからな」 「我々にどうしろと?」怪訝な顔でアレンを見上げるリーダーに、彼は淡々と言った。 「彼の荷物は見たところガラクタばかりだ。全部捨てさせろ。自分の毛布と食料と水くらいを持たせておけばいいだろう」  そう言って、アレンは僕のザックをひっくり返して空っぽにした。そして、古びた毛布に鼻を近づけてうっと呻くと、それを放り投げてしまった。  さらに彼はオーナーに頼んで、ギルドの共通物品である新品のザックと毛布を僕に支給してくれることになった。その上、水筒が3分ぐらいしか入っていないことにも気づいて、蒸留水を真新しい真鍮の水筒に注いでくれた。  この日の彼は、朝から僕の救い主だった。

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