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*-4 出発の時

***  ギルドオーナーが僕の新しい荷を用意してくれている間、アレンは頭に道程を地図で説明していた。  サヌハンからテリュスへ最短距離で行こうとすると、その途中には断崖絶壁の険しい道や深い山谷、猛毒の煙を吐き出す噴火口、封鎖された坑道、はたまた底なしの沼地を通らなければならないという。自然の要害ばかりでなく、そこには当然強力な魔物も出現する。  アレンは遠回りにはなるがいくつかの村を経由して、テリュスに行くと提案した。頭は急いでいると言ったが、彼は首を縦には振らなかった。 「俺だけならテリュスに行くのにわざわざ迂回ルートなどとらないが、あんたら戦闘の素人を30人も無事に送り届けるには、その方法しかない。嫌だというなら、俺はこの仕事をおりるね。多分、誰も引き受けないだろうが」 「迂回だと何日かかるのだ?」 「食料の確保とか休息とかもあるだろうから、大体1、2ヶ月はみた方がいい」 「そんなに??」閉口した頭領にアレンはやれやれとため息を吐いた。 「あんた、リーダーなんだろ?連れているのは屈強な男どもじゃないんだ。女子供のことも考えてやれ。旅の資金に余裕が無いなら、引き返した方が無難だぞ」 「……。わかったよ」 「了承したな。俺は一番遅い者にペースを合わせるから、そのつもりでな。契約書はこの通りだ。報酬額を確認したら三枚にそれぞれサインするように」  アレンが渡した書類に、頭は目を通して、渋々といった感じで署名した。それを一部はギルドオーナーに、一部は自分の懐にしまった。ギルドオーナーはアレンの肩を叩き、馬の準備をすると言って二人は立ち去った。僕は人目を忍んでその後を追いかけた。  隊商から離れて村の入り口まで来ると、彼らは立ち止まった。僕は立木の後ろに身を潜めて二人の会話を聞いていた。 「馬はないのか?」ギルドオーナーは驚愕したように言った。 「カペエの村に置いてきた。ケセナがうるさくてな。実はすぐ戻ると言ってここに立ち寄っただけなんだ」 「おいおい」オーナーは苦笑いしながら首を振った。 「ギルドの馬は貸せないぞ」 「なんでだ?」 「繁殖のためさ。あいつも立派な種馬(スタリオン)だからな。あんたと同じだ」 「……その冗談はきついな。俺は子供を望んでない」アレンも口の端を持ち上げながら苦笑した。 「あっちの方は親父がいて、娘を傷物にしたと騒いで結婚を迫られてる。今時バージンでない未婚の女などザラなのにな。それに、俺が抱いた時、あいつはすでに開通していた。俺が女にしたとでも思っているのか」 「……お前は全く度し難いな。まあ、知ったこっちゃないが。で、移動はどうするんだ?」 「(かち)だな。モリールからは足場が悪くなるし、馬はいらないだろう」 「カペエが経由地でないのが、何よりの救いだな」 「そんなことはないな。モリールとレメルグ、ケーナンも難所、と言うより関所かな」 「そっちの意味でか」オーナーは呆れかえっているようだった。 「ああ……。まあ、何とかなるだろう」 「独り者は気楽でいいな。村ごとに恋人がいるのはお前くらいだがな。ところで」と、オーナーは声を急に潜めた。木立の裏に潜むカミュ以外は辺りに誰もいないというのにだ。 「さっきの隊商だが、……気を付けた方がいいぞ」 「うむ」アレンはオーナーの声色に気付いて、顔を険しくした。 「話し方を聞いたところ、あれはポエニクスの訛りだ。ドラコのもんじゃない。ポエニクスとなると、百里の海を渡り千里の山谷を越えてこの大陸の中部までやって来たことになる。訳ありに違いない。あそこはお前さんも知っての通り国が無くてな、跳梁跋扈の無法地帯となっていて盗賊などの犯罪者が多いと聞く。ペガススかドラコで罪を犯した者が一時的に身を隠す場所にもなっているそうだ。……油断して、寝首を掻かれないようにな」 「俺が寝首を掻かれるだって?」アレンは馬鹿馬鹿しいと手を振りながら言った。 「武の誉れ高い男だって、寝ているときや酒に酔っているときは不用心だからな。俺は昨日お前が金を稼いでいることをやつらに言ってしまったし。といってもお前は普段金品を持ち歩かないから、殺したところでいくらも手に入らないが」 「剣を嗜んだことのない者どもに俺の髪の毛一本だってくれてやるものか。そんなことを企む大うつけどもは足の筋を切って流砂か池沼にでも沈めてしまうよ。馬鹿にするな」 「お前を侮ってはおらぬ。これは一応の忠告だ」 「はいはい。わかったよ」 「それと、やつらが何か悪いことをしでかそうとしたら、懲らしめてやっていいからな。正義感の強いお前のことだから、人殺しや強盗をみすみす見逃したりはしないだろうが」 「無論だ」アレンは固く頷いた。 「まあ、大陸の中ほどまで来て、そんな愚かな真似をする輩にも見えんがな」 「俺はそうは思わない。幼い子供を殴りつけていたし……」 「ああ。貰い子にしたって、酷かったな。あれは……」  ——貰い子……。オーナーの何気ない一言に、僕は口元を押さえた。己のことを言っているのだと察したからだ。 「……」  アレンは何も言わなかったが、眉を顰めながらまっすぐ隊商のテントがあった方を見つめていた。テントは片付けられ出発を今かと待つ人々がうろうろしていた。 「無事を祈るよ…。まあ、お前なら大丈夫だろうが」 「ああ。行ってくる」  親しげな二人は軽く抱擁すると、アレンは僕の目の前を通って隊商へと戻っていった。 ***  昨日の今日で、隊商に随行することになったアレンは、列の先頭で地図に目を落としながら進むリーダーの脇にはいなかった。隊商の中で一番体が小さく遅れがちな僕の傍にいて、子どもたちの取り巻きと話をしていた。  子どもは僕を入れて7人ほどいたが、一番の年長が剣に興味を持ち、剣士になるにはどのような訓練が必要か丹念に訊いていた。  アレンは気が乗らない様子で、彼の体を見ていたが、目を細めながら「力の強さというのは体格に左右される」と言った。僕はどうですか?と身を乗り出して訊いたが、「お前はもうそろ14、5歳くらいか?にしては、肩幅が小さい。その頃の俺はすでに倍くらいはあったな。戦いには向かないと思う」と答えたので、彼はしょげ返って肩を落としていた。

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