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*-6 英傑の末裔

***  翌日、商隊は赤茶けた砂丘を越えて、今度はごつごつとした切り立った岩場の険しい道を歩いていた。道が狭いため荷駄を運ぶ馬の足元が定まらず、慎重を期して予定より時間がかかっていた。日が高くなっても、休めるような開けた場所にたどり着けず、僕らは青息吐息で進行を続けていた。  僕はサヌハンでガラクタを置いてきていたため、飲み水くらいしか持っていず荷は軽かったが、無理はしないようにとアレンに注意されて後方で彼と歩いていた。父と母は僕に構わず先を進んでおり、前方とはかなり間隔が開いていた。 「アレンさんってさ」 「ん?」アレンは密かに僕にもくれたハッカ飴を舐めながら、僕を見下ろした。 「アレン・セバスタって名前なの?」  僕は一昨日訊きたかったことを勇気を持って訊いてみることにした。 「ああ」 「ウィリアム・セバスタの子孫?」  強い日差しのせいで、少し朦朧としていたのだろう茫然としていたアレンの顔にきらりと何かが走るのを僕は見た。 「カミュ……よく知ってるなあ」 「やっぱり、『英傑ウィル』の子孫なの?」僕は語気を強めて確認した。 「ああ。そうだよ。セバスタ家は代々騎士の家柄で、俺は200年前に生きたあいつの子孫だよ」  アレンは頭を掻きながら照れ臭げに、けれど落ち着かなげに答えた。 「あ……あいつって」  僕は尊敬する英雄が、彼のご先祖様であるのにあいつと言われたことにびっくりした。 「どこで知ったんだ?今どき、苗字くらいで言い当ててくるの、お前くらいだと思うが」 「どこって、ご本だよ?英雄列伝という立派な本。珍しい苗字だからまさかとは思ったけど。本当にいたんだ……」 「実在はしたようだな。末裔の俺がいるからな。一体どうしたんだ?そんなに目をキラキラさせて」 「……」僕はじーんとしてしまい、英雄の子孫と同じ空気を吸っていることが至高に幸せだった。目の縁に感動の涙が溜まってきたが、頑張って堪えた。 「ふっ。お前の頭にはあいつの輝かしい活躍が、脚色されて書かれたものをそのまま鵜呑みにした妄想が広がっているんだろうな。確かにご先祖様はある面で尊敬してはいるが、一族にとっては功罪相半ばといったところだ」 「え……」 「伝記に名を残すような偉業もしたし、一方で一族を没落もさせた」 「ぼつらく?」 「良い話ばかりではないってことだよ。辛気臭い話はあまりしたくない。けど、興味があるなら……いずれ話してやるよ」  アレンがため息を吐いたちょうどそのとき、前方から悲鳴が上がった。何事かと彼が前方を目を向けると、大きな岩場とその下の洞穴に人々が集まっている。アレンはあっと声を上げた。  人一人通れるだけの通路の脇に岩穴があったので、休めるものだと思って中に入ったのだろう。しかし、そういった岩場に生息する魔物達を彼はよく知っていた。 「どけっ!どけっ!」  アレンはナップサックを地に投げて、皆をかき分けるようにして列の前方へ向かった。僕も彼の荷物を抱えて後をつけて走るもその差はどんどん広がっていく。  穴の前で立ち往生している頭領とその妻が震えて、穴を指さしているのを構わずに、アレンは穴に飛び込んだ。争うような物音が聞こえて、しばらくしてばきばきと骨か何かの折れる音がした。穴から何かを引きずる音が聞こえて、皆は戦々恐々としたが、出てきたのはアレンだった。男を一人背負い、片手で毛深い大きな猿を引きずっていた。 「マントヒヒだ。とりあえず2匹連れてきた。こいつを昼飯に食おう。中にいるのも手負いだ。襲っては来ないだろう」 「殺さないのか?」穴を指さして、父は言った。アレンはやれやれと首を振った。 「話はあとだ。この場から離れて、広い場所でこの男を休ませよう」 *** 「助かりました。アレンさん。ありがとう」  救出された男は、アレンの手に縋って感謝の言葉を述べた。広い平原に出て皆が休憩し、手当てを受けた後である。男は軽傷だったが、ショックが大きくて先ほどまでは喋れなかったのだ。 「これが俺の仕事だから、礼を言うまでもない。ただ、注意したいことが一点ある。洞穴は魔物や動物が潜んでいることが多い。そこが奴らの住処なのだ。休息のために探索するのは危険な行為だ。皆も勝手な行動はしないようにしてくれ」火を囲んで食事をしていた彼らは手を止めて、アレンを見つめた。 「あんたの働きには感謝する。しかし、後方でガキとだべっていて、俺達の危険に気付けなかったのは如何なものかな。あんたは水先案内であり、護衛役でもあるんだ。先頭を歩くのが筋ではないのか?」 「契約時に言ったはずだ。俺は歩みの遅い者に足を揃えると。体力のない者が前方の集団についていくのは過酷だが、歩みの早いものが後方にペースを合わせてやるのは難しいことではない」 「そんなことをしたら、いつになってもテリュスにたどり着けないじゃないか」 「じゃああんたは、弱い者から順に見捨てながらテリュスに行くというのか?」アレンは冷たい目をして頭を睨み据えた。周りの視線を感じて彼は押し黙った。 「それなら、体力のない者はサヌハンで待機させればよかったんじゃないか?」 「いいや。それは駄目だ」リーダーは歯をがちがちさせて首を横に振った。何かに怯えている様子だったが、事情を知っているのか僕の父は平然とそれを見ていた。 「だったら辛抱するんだな。この先、マントヒヒなどよりずっと恐ろしい魔物に出くわすだろうが、あんたらがあまりに先走り過ぎてると俺は助けに行けないぞ。俺が護衛できるように隊列を短くするんだ」 「わかった……わかったよ」リーダーは頷くだけだった。 ***  二日目の夜も、前日と景色こそ違えど、アレンは僕に親切にしてくれた。マントヒヒの肉付きの良い部分を僕に切り分けてくれたし、オリーブの酢漬けとヤギのチーズをバゲットに挟んだものをこっそり食べさせてくれた。  寝る前には綺麗な亜麻布を水筒の水で濡らして、僕の汗ばんだ体を拭ってくれて、パジャマを着せてくれた。人にボタンをかけてもらうなんて初めてだったので、こそばゆかった。  そして彼は、僕を寝させる前に、どこにしまってあったのか綺麗な浅葱色のスカーフを取り出して見せた。 「お前は人より肌が薄いから、強い日差しは大敵だ。日中はこのスカーフで顔を覆うといい。これがあれば、肌を傷めることも砂埃を吸い込むこともない」と、顔に巻いて、アレンはにっこりと笑顔を作った。 「アレンさんは、どうして僕に優しくしてくれるの?」 「どうしてだろうな……」彼はしばらく口を噤んだが、 「きっと前世では恋人だったのかもしれないな」と微笑みながら、スカーフ越しに僕の頬を優しく撫ぜた。

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