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*-10 英雄列伝

 アレンは僕と自分の額に手を当て、熱があるかを確かめていたが、やおらザックを取り上げると中の物を自分のナップサックに移し始めた。そうして、ザックを空にすると僕に入れと命じた。意味がわからなかったので立ち尽くしていたら、彼は僕の体をひょいと抱き上げてザックの広い口に足から入れられた。 「負ぶってやる。居心地は悪いだろうが、平原に出るまで我慢しろ」と言って、ザックを背負いナップサックを右肩にかけ再び歩き出した。  今度はより速いスピードだったので、皆が慌てた。子供のいる親は子が疲れ切っていることを理由に休憩しようとしたが、アレンはそれを許さず、親に子を背負うように言った。しかし、荷物を捨てるわけにはいかなかったのか、親たちは渋々子供の手を引きながらジャングルを歩いた。 「ここで立ち止まっているほど危険なことはないからな。休みを取れば話をしだすだろうし、その音が魔物をおびき寄せる。さっさと歩ききった方が安全なのだ」  とは言うものの、それが出来るのは彼くらいで、今では頭や父などのわりかし体力のある男たちも音を上げていた。リーダーがアレンに休みを入れろと命じたが彼は首を縦には振らず、どうしてこのようなルートを取ったんだと責められても、テリュスに行くルートでは一番安全な方法だと強く言うだけだった。 「ジャングルにも縄張りがあってな。野生動物たちの守っている島を荒らすのは、俺の趣味じゃない」  例えば数百メートル北に行けば、ゴリラの群れが棲息している場所があるが、30人もの隊商がそこを通れば何かしら起きるに決まっている。厄介ごとに巻き込まれないためには危うきに近寄らないのが最善だと、アレンは背中の僕に教えてくれた。 「それより体は大丈夫か?」 「うん。僕、たまに熱が出るの。……でも、すぐ治るよ」 「親は知ってるのか?」 「……うん」サヌハン手前で僕が一人だったのも、熱が引かないせいで皆に後れを取っていたためだった。 「ふーん」アレンの顔は見えないが、何か思案しているようだった。 ***  モリールを出て一日目の夜は日も沈んで、東の山林から月が登り始めたころだった。ようやく森が開け岩ばかりの高台に出たので、夕飯を取りここで一晩明かすことになったのだ。皆が茫然と座り込み一息ついたところで、緩慢な動きで夕食の準備を始める中、アレンは僕の衣を剥いで湯につけた亜麻布で体を拭ってくれていた。恥ずかしさにもなれてきたが、彼がナップサックから取り出した小さな寝間着にアッと驚いて、思わず顔をじっと見てしまった。アレンは少し首を傾げ、覗き込むようにして僕の顔色を窺って、にっと口角を上げた。 「これ、僕の?」 「そうだ。着てごらん」  真っ白な麻の寝間着は、僕の体にぴったりで動きやすかった。嬉しさに手足をぴんと伸ばしたり、ジャンプしたりしていると、 「熱があるとは思えない元気の良さだな。奴らの方が病人みたいだ」と、アレンは隊商の人々を見て苦笑した。  僕の体を拭いたタオルで、アレンも体の汗を拭うと、やはり白い寝間着に着替えて軟膏を取り出して体に塗り始めた。 「虫よけのクリームだ。お前も塗れ」と、ひと掬いして僕に差し出した。  僕がぽかんと口を開けていると、 「自分で塗れないなら、俺が塗ってやろうか?カミュ」と、手を掴み口元に色気のある笑いを浮かべたので、僕は慌てて彼の手からクリームをかっさらって露出した肌に塗りたくった。 「いい子だ。それを塗ったらテントで少し休んでいろ。料理を作ってくる」 「アレンさんが?」  アレンはナップサックから小さな飯盒と何かの詰まった革袋と水筒を取り出すと、すたすたと焚火の方に歩いていき、料理をし始めた。僕はテントに凭れながらその様子を見入っていたが、慣れない手つきで麦粉やミルクをこぼしたり、真剣な眼差しで火を見つめていたりと、その姿は飽きるところが無かった。炎を映じた瞳は、火打石のように真っ赤な火花を散らしていて、もどかしいほど美しかった。艶めいた唇は独り言のためにしばし動いており、料理の手順について自分の手際の悪さを嘆いたり、カミュの熱が下がりますようにと祈りの言葉を口にしているのが聞こえた。  僕はぱっと顔を赤らめて、アレンから遠ざかりテントの中に潜った。新調したばかりの青いテントは皴一つなく虫の入る隙もなかったし、羊の毛布は干したばかりなのかふかふかで僕は顔を埋めて喜びの吐息をついた。  僕の体のことを心配して、ほぼ一日背負ってくれた上に、寝間着や毛布を用意してくれて、僕のために料理まで作ってくれているアレンのことが不思議でならなかったけれど、この親切に自分はどう答えればいいのだろう、と幼心に思っていた。アレンは僕の親兄弟ではないし、数日前に出会ったばかりの他人だというのに、どうしてここまでしてくれるのだろう。前世の恋人だって茶化していたけれども……。僕はこの人に甘えてしまっていいのだろうか?信じてしまっていいのだろうか?  考えを巡らせようとしたときに、テントが開いてアレンが入ってきた。両手に大事そうに一つの椀を抱えて、ふうふうと息をかけながら、湯気の立つそれを僕の目の前に持ってきた。 「オートミールだ。食え」  牛の乳で煮込んだ燕麦のお粥は塩コショウの味付けもされておらず、ただ乳の甘ったるさが舌に残るものだったが、モリールから持ってきた普通の食事を口に運ぶアレンの優しげな目に癒されて、僕はこのご馳走を感慨深く味わった。  月が高く上がったころ、アレンは携帯用の小さな行灯をつけて、ナップサックから小さな本を取り出した。首を伸ばしてそれを見た僕はあっと声を上げた。 「英雄列伝!!」  金字で箔押しされ華麗な装飾の施された書物がアレンの(たなごころ)に乗っており、彼が照れ臭そうに笑っていた。 「文字が読めるようだから、リディスの家にあった本を貰ってきた。お前の好みがわからなかったから、読んだとは思うが、とりあえずこれをやるよ」  差し出された本と彼の顔を見比べて、自分にプレゼントされたものだと理解した僕は、全身を震わせて本を胸にかき抱いた。 「あ……ありがとう!アレンさん」 「俺の先祖を自慢しているようで甚だ癪だが」 「そんなことない……。僕、文字読めるし、嬉しいよ!!」  ウィルの英雄譚を再び読むことが出来ることと、忘れかけていた文字を再び覚えなおす機会を得られたことで、感謝の念に堪えなかった。

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