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*-12 魔法使い

*** 「アレンさん、ごめんなさい」 「なんでお前が謝るんだ。お前は何も悪くない」  アレンは憤慨して、近くにあった大きな石を蹴り上げた。薄闇の中、それは唸りを上げて飛んで行って、相当遠くの方で何かにぶつかって砕ける音が聞こえた。急いで隊商から離れたものだから、彼のナップサックも入った僕のザックはガラガラと音を立てていたし、アレンはテントを鷲摑みにしていた。 「ジャングルの動物たちよりもあいつらの方が凶悪だ。お前も危ない所だった。だが、俺がいれば安心さ。あいつには指一本触れさせない。このあたりでいいだろう、テントを張ろう」 「うん!」アレンがやや機嫌を戻したので、僕はホッとして彼の足元で跳ねた。 「元気そうだな。お前にも手伝ってもらおうか」  そうしてまず枯れ木を集めて焚火を熾し、テントを張った。入り口に蛇除けの松明を掲げると、中で体を拭われ、寝間着を着せてもらった。胸元のボタンを穴に入れられなかったが、アレンが留めてくれた。普段着は頭から被る服や留め具のない上着なので、ボタンのついた服というのもこの旅が初めてだったのだ。 「手の動きを真似てごらん。ボタンは自分で留められるようにならないと駄目だな。あ、一番上のボタンはしなくていい。息苦しいだろう?」 「ごめんなさい」 「ふふっ。謝らんでいい。お前、年はいくつだ?」 「とし?」 「何年生きてきたんだ?」 「うー。……考えたことなかった」言ったときのアレンのきょとんとした顔を見て戸惑った。 「親に教えてもらわないのか?」 「うん。聞いたことないよ。他の子たちの年も知らない。体が大きくていばっているから、僕よりは上だと思うけど」  自分の年を知らないことが常識的ではないようなので、僕は少し恥ずかしさを憶えた。しかし、アレンは笑わなかった。 「ふーん。いつから旅をしているんだ?」 「一年が12の月の満ち欠けでじゅんぐりしてるなら、僕はかれこれ5回くらいぐるりしたよ」 「少なくとも5年は旅をしているわけだな」  アレンは宙に目をやりつつ頷きながら言った。 「そうなるかな」  僕はアレンが多少なり自分に興味を抱いていることに、恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。はにかんだ顔を隠すように彼からもらった本に目を伏せた。  アレンは枕がわりに拾ってきた二つの大石にタオルを乗せながら、僕が熱心に英雄列伝を読んでいるようなのを横目で見た。 「文字は誰に教わったんだ?」 「え?」 「お前たちと旅してわかってきたが、字を読めない奴も多いだろう?負ぶってやった娘もモリールの店の看板を読むのすら手こずっていたぞ?お前の親父とお袋も正規の教育を受けたとは思えないな」 「僕にはお師匠さんがいたの。隊商と一緒に旅をしていたんだ。エムリスという魔法使い」 「ほぅ。魔法使いか。ドラコではついぞお目にかかったことがないが……」アレンは思案深げに僕の顔を見た。 「うん。その人、ペガススから渡ってきたんだって。ドラコ原産の植物を採集して研究するとかで」 「植物?」 「ここは水辺だから生えてないけど、乾燥した土地の岩場の影にひっそりと埋まっている厚ぼったい葉っぱの……」 「んん?」 「あの……あの……なんて言ったかな。透明な窓か水晶のような葉っぱがあって」 「ああ。あれか!名前は知らないが、よく見るなあ」  今となってはエムリスに教えてもらった名前を忘れてしまったが、多肉植物の一種であった。それの群生を探すのを手伝っては、彼によく褒められていたのを思い出して、僕は俄かに活気づいて言った。 「それだけじゃないけどね。ドラコの気候や風土はペガススのそれとはだいぶ違うから、珍しい植物がいっぱいあるんだって。標本や種を見せてくれたよ」 「その、言っちゃ悪いが……あれを研究して何かいいことがあるのか?あんなどこにでも生えている緑の石っころみたいなもの」 「え?石じゃないよ。“宝石”みたいではあるけどね。とても綺麗なんだから。それに植物を研究することは無意味じゃないよ。気候風土に適応した植物の進化の過程がわかるし、薬の材料になるかもしれないんだ」 「んー。まあそうだな。食えるかもしれないしな。キノコだって毒かもわからんのに昔の人は食べたんだからな~」 「あは。確かにね。でも、多肉植物は成長がゆっくりだからね。食べたらもったいないよ」と、僕はくすっと笑った。 「お前は賢いな。……その人に文字を教えてもらったのか?」 「うん。採集を手伝ったお礼にって、寝る前に教えてもらったんだ。皆は寝こけて彼の授業を聞かなかったけど、僕は勉強したよ」 「ほう。何年くらい勉強したんだ?」 「2年くらい一緒に旅してたから、そのくらい。エムリスはよく褒めてくれて、僕に辞書をくれたから、彼がいなくなってからもそれで勉強したよ」  僕が胸を張ると「すごいなあ」とアレンが呟いて肩を撫でたが、不意に僕が体を竦めたので、「どうした?」と彼は訊いた。 「……数か月前までは手元に辞書があったんだ。ジャミルに売られるまでは」 「ジャミル?」 「さっきの人。父の従兄弟」 「ああ……」  アレンは腕を組み、顔を険しくした。僕に火傷を負わせかけ、アレンと暴力沙汰になった救いようのない大酒飲みである。 「エムリスはね、別れの挨拶もせずにいなくなってしまったんだ。でもね、彼が言ってた言葉を僕は信じてるの。『夢は必ず叶う』って」 「夢か……。カミュ、お前の夢は何だい?」  彼の細めた瞳の奥で真っ赤な星が炯炯(けいけい)と輝いていた。口の端に笑みを浮かべ、まるで恋に落ちた人が相手を口説き落とすかのような柔らかい声が僕の脳に直接語り掛けた。 「夢はね……」  アレンの蠱惑(こわく)的な表情にうっとりして、僕は全てを話しそうになったが、テントに映る己のちっぽけな影を見て正気に返った。現実に引き戻されたのだ。 「……」 「どうした?」 「ううん。……ひみつ」 「秘密か」  アレンは至極残念そうな顔をして、寝床に横になった。両手を伸ばして欠伸をし、首をこきこき鳴らすと、僕に振り向いて言った。 「秘密ってことは、叶えたい夢があるんだな。今は秘密なんだろ?いずれ教えてくれるんだろう?」にやりと笑んで再び横になると、ものの30秒と経たないうちに寝息が聞こえ始めた。  ——彼が信頼に足る人だったら、打ち明けよう。  今までの天の助けのようなありがたい優しさも、心から信じていいのか僕にはわからなかった。何か下心があって、僕に目を付けた可能性も考えられるからだ。エムリスは言っていた。  僕は容姿からペガススの貴族の血が入っていると思われること。そして、彼らの多くは自分みたいに魔法が使えるのだということ。  魔法は善く使えば人類のためになるが、使い方を誤るととんでもない災厄をもたらすのだという。ペルセウスの魔法戦士が戦ばかりしているのはいい例だ。中には生れたばかりの赤ん坊を売買して、朝夕魔法石に魔力を注入する奴隷に育てることもあるそうだ。  アレンがそんな魂胆を持っているとは到底思えないけれど、彼が悪人ではないことを祈りながら、僕は眠りに落ちた。

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