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第7話
残念、と呟く伊織の声に、遠くから聞こえてきた声が被った。
「いい加減、仁さんを諦めろよ」
この声は、俊介《しゅんすけ》だ。
仁が横へ退いたので、走ってくる彼の姿が見えた。
その、百八十を超えているだろう身長が、俊介をより逞しく感じさせる。一重のすっきりとした目蓋をしており、細い鼻筋と、薄い唇がその目蓋によく似合っている。男前だ。
俊介も俺の同級生であり、彼は大体いつも伊織と一緒にいる。高校時代に俊介よりこそりと、伊織のことが好きなのだと相談を受けたことがあるのだが……結局その気持ちを告げられたのか、報告は受けていない。しかし、この様子では、告げていたとしても振られているのだろう。
伊織が鼻を顰めた。
「何でてめぇにそんな事を言われないといかんのかねぇ」
「じゃあ俺が言ってやる。いい加減諦めてもう来るな」
ため息をつきながら仁が言うと、伊織から白けた視線をちらりと向けられた。
「俺は、仁を助けてやりたいだけさ。この、荷物からな」
その言葉はとても鋭い槍となり、胸に突き刺さってくる。
彼の言う通りなんだ。どうしても、仁を手放せない自分が卑怯で、勝手で、とても、愚かで醜くて。
様々な色をした感情が爆発してしまいそうだ。もう我慢できない。眩暈がした。
「仁、行って」
唸るような声になってしまったが、それでも――
「気にするな。お前は何も悪くない」
優しく頭を撫でてくれる手を、振り払う。
「お願いだ。俺をこれ以上、惨めな気持ちにさせないでくれ」
これも、卑怯な言葉。わかっていて、そう吐いている。そういえば、仁は大抵、俺に従ってくれるのだと。
俊介が伊織の腕を掴んだ。
「こんな事を響に言わせるな。帰ろう」
「お前、今日はやけに絡んでくるな。いつも俺の言うことならはいはい聞いてくれるっていうのにさ」
「ここで騒ぐなよお前ら。俊介は伊織をさっさと連れて――」
「三人とも、行くならさっさと行ってくれ!」
怒鳴ってしまった。そうしないと、とても、耐えられそうになかった。
仁が、身を屈めて下から顔を覗き込んできた。
「本当に行って欲しいのか?」
「今は一人にしていて欲しいんだ。頼むよ」
ああ。目蓋を閉じてしまった。そうしなければ、涙が毀れてしまいそうで。ため息が聞こえてきて、それがまた、胸を痛ませる。
抱き上げられ、車椅子に乗せられた。その間も目蓋は開けなくて。三人の影が離れてゆくことを、閉じたその裏側で感じた。
「そういえば加藤祥子。結婚したらしいですよ」
俊介の声が聞こえてくる。
「誰だ?」
仁の、疑問気な声。
「俺の、高校の同級生ですよ。仁さんと付き合っていたじゃあないですか」
「もう大分昔の話だから忘れた」
えー、と、不満そうに言う伊織。
「仁と付き合っていたといえば、藍田紀香も結婚したらしいよ。しかし結婚相手が暴力的なヒモ野郎なんだと。ま、藍田も精神的にちょっといってるような子だったからお似合いだろうけど」
「……その子も覚えていないな」
三人の和気藹々とした声は、どんどん離れてゆく。
「あーあ。そうやって皆、前に踏み出してるのに……何で――」
耳へ蓋をする前に、角を曲がって行ったのか、彼らの声は聞こえなくなった。
目蓋を開く。涙は眼球の裏側、奥へと静かに滲み、出てこない。
きぃぃと鳴る車椅子の車輪。
叫びたくてたまらないと訴えてくる喉を、ぐっと、締めた。
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