いっそ学校へ行かないのはどうだろうか。犯人が誰なのかは結局まだ特定できていないが、せめて、事件が起こらないように何とか回避できないのか。仁を失って、足までも失うことだけは避けたい。 　閉じた目蓋に眠気は全く訪れなくて、気がついた時にはもう、窓の外から雀のさえずり声が聞こえてきていた。 　ため息をつき、身を起こす。 　部屋を出ると、ちょうど同時に部屋から出てきた仁と廊下で鉢合わせをした。 「その様子はもしかして、眠れなかったのか？　卒業式があるからって緊張して眠れないとか、まだまだ子供だな」 　からかうように笑われ、眉を寄せてしまう。 「なぁ、親、さ。卒業式に来ないようにはならないよな？」 「そりゃあ、息子の晴れ舞台なんだ。行くに決まっているだろう。照れ臭いからといって、あまり邪険にするなよ？」 　階段を下りてゆく背中に続く。 　――卒業式をサボったとばれてしまうが、それで事件が回避できるのならば迷うことはない。 　受け付けたくないと悲鳴を上げる胃へ無理やり朝食を入れてから身支度を整え玄関に向かうと、同じく身支度を整えたスーツ姿の仁より後ろから声をかけられた。 「おい、襟足。跳ねてるぞ」 　すっ、と首の後ろを指で撫でられて、顔が熱くなった。 　慌てて振り向きそこを手で押さえる。 　仁が眉を上げた。 「最後の高校生活くらいは格好よく決めてこいよ。俺の愛する弟らしく、堂々とな」 　顔をくしゃりと顰めて、満面に笑みを浮かべている。 　こちらの顔も顰めてしまいそうだ。正反対の、気持ちから。 　やめてくれ。そんな風に言われるのは本当に、辛い。 　目が覚めるたびに、足が動かないことへ絶望した。そんな日々とは別れを告げられたのに、この一年間、やはり目が覚めるたびに絶望をしている。 　その手で頭を撫でられると、記憶の中にある撫でられ方との違いに胸を掻き毟られる。見つめてくる視線にこもらぬ熱へ、叫びたくなる。 　本当は違ったんだ。本当なら、仁は俺へ恋をしていたんだ。そう上げたくなる悲鳴を何度も、何度も喉の奥へ流し込んだ。それなのに――仁は、何も気づかない。 　……気づかれるわけがない。どうにも説明はできないし、説明したところで、何も変わらない。それをわかっていながらも、つい、目が、意識が仁を追いかけてしまう。 　好き。艶を帯びたその、左目元にある涙黒子が好き。長い指が、すっと俺へ触れてきたそれが好き。 　こうなって初めてわかることが沢山あった。そして、それはもう二度と―― 　喉の奥が熱い。ああ、ああ。箱へ、最初に足のことを願えばよかった。そうしたら……動く足と仁を、二つとも手に入れられたのに。 　けれど、それは仁が昔から自分を好きでいてくれたのだと知らなければ、選択できなかった道なのだ。そして、こうならなければそれを知ることは、なかった。 　何度も箱を手に取った。何度も、仁の恋心を戻してくれと、願いたくなった。足が動かなくなる恐怖と戦いながら、その、絶望をする未来へ戻ったとしても彼の気持ちを戻してくれと祈る心は消えなかった。でも、それは絶対にしてはならないと、ベッドに顔を押し付け夜な夜な啜り泣いた。 　何を呪えばよいのか。何を恨めばよいのか。もうわからないが……笑え。 「愛する兄貴様はさっさと出勤しなくていいのか？　遅刻するよ」 「お。生意気」 　ぽんっと頭にのってきた手に縋り付けないこの無念さを、どこに置けばよいのか。 「行ってきます」 　顔を見られぬよう、素早く玄関の外へ飛び出す。 　――眩しい程の青い空が、憎くてたまらない。