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第16話

女王クラウディアを暴君に変えた仮面の怪人、エリック。 本編で語られることは少ないけれど、エリックがそんなことをしたのにはちゃんとした理由がある。 彼には、かつて死に別れた恋人がいたのだ。 名前は『アイリーン』。 エリックはアイリーンを愛していた。だから、よみがえらせようとした。死人を復活させるために必要なのは、人間の強い欲望。そのためエリックはクラウディアを利用して欲望を集めていたのだ。最終的にエリックはクラウディアに出し抜かれて死んじゃうんだけれど、彼は最後まで愛しいアイリーンの亡霊が見えていた。 で。そのアイリーン役が――何故か俺に割り振られていたらしい。 いや本当、何故? 「アイリーンは亡霊だからな。派手に動いたり喋ったりしねぇし表情もヴェールに隠されて見えねぇって設定だ。何よりアイリーンならエリックの後ろでピアノ弾いてても画的に違和感が無い」 はまり役だろ、と笑う社長に俺は口角を引きつらせた。 去年俺が不参加だったのは別に歌手じゃないからとかではなく、ただ単に歌劇を見るのが初めてだったからというだけだったらしい。観る側ならめちゃくちゃ楽しみだったけれど演る側となるとそうもいかない。しかもメインではないとはいえ、ちゃんと名前のある役だなんて。 正直逃げ出したい、が。 俺もMr.Musicに入ってもう一年が経つ。明確な理由もなく無理だなんて言っても通じないことくらいはわかっていた。それに、なにより。伊織さんが「柊と劇やるの楽しみだなぁ」と笑った時点で、俺に拒否できる筈がなかったのだ。 そんな成り行きで練習が始まって1週間。 案の定俺は行き詰まっていた。 演奏は問題ない。 いつもやっているのと同じように弾けばいいだけだし、そんなに難しい曲を演る訳でもないし。 問題なのは、やはりというかなんというか、演技の方で。 「うーん……おひぃちゃんさぁ、もうちょい感情込めれなぁい?」 「感情、ですか……」 俺についてくれている演技指導の先生が、微妙な表情で頬を掻いた。 言いたいことはわかるけれども。そんなこと言ったっていまいちアイリーンに感情移入できないでいるのだから、難しい。あと"おひぃちゃん"って呼び方恥ずかしいからやめて欲しい、って言っても無駄かなぁ。 「おひぃちゃんの場合、解釈の方を深めていった方がいいのかもねぇ。共感できるところを探して、役になりきるのよ」 女性っぽい口調で上背のある男性が小首を傾げる様はいつ見てもアンバランスだ。まぁそれはそれとして。 「アイリーンに共感できるとこなんてないんですが……」 「あらそう?ならまず考察から始めましょうか。はい座って座って」 促されるままレッスン室の隅に座り込んだ俺は、首にかけたタオルで汗を拭いながら台本を開く。そもそも性別が違うのに共感なんかできるもんなんだろうか。そう考えると、やっぱり女役も平然とこなす宗汰やテオさんはすごい。俺は少し離れたところで振り付けを通し練習している宗汰と、それからその奥にいる伊織さんをちらりと伺ってから先生に向き直った。 「台本上で明記されてるアイリーンの情報はあんまり多く無いわね。薄墨色のヴェールを頭から被った無口な女性、ってくらいかしら。つまり他の部分をどう解釈するかはおひぃちゃんの自由なのよ。例えば――エリックへの気持ちとか、ね」 「エリックへの、気持ち……」 「あたしなんかは、愛するあの人が悪に染まっていくのを見ているしかできない哀れなヒロイン~って思って読んでたんだけれどね」 「ふぅん?おれなんとなくエリックの片思いだって思い込んでた」 突然飛び込んできた声に思わず頭上を見上げれば、休憩中なのか少し息を乱した様子のテオさんが俺の台本を覗き込んでいた。片思い?と問えば、テオさんは俺の隣に座ってスポーツドリンクを煽りながら答えてくれる。 「エリックがたまたま出会ったアイリーンに恋をして、自分勝手によみがえらせようとしてるんじゃないかってこと。だからアイリーンはエリックのことなんとも思ってないんだけど、運命の相手だって思ってるエリックは自己満足で行動してる……みたいな?」 「なるほど、怪人っぽいっちゃあ怪人っぽいわね」 「でもちゃんと読んだらアイリーンがエリックを恨んだり嫌ったりしてる描写もないんだね。普通全然興味ない奴に恋人面されたらむかつくと思うけど」 あぁ、そっか。そういう風にも考えられるのか。 俺は口元に手をやって、テオさんの言葉を反芻する。 エリックをうっとおしく思ってるアイリーン、かぁ。言ってることはわかるし理解もできるのだけれど、なんかこう、すとんと落ちてこない感じがした。言いながらテオさんもそれを感じたのか、自分の台本をじとりと睨みつけるように見直し始めた。 少しの沈黙。 3人揃って考え込んでいる様子が目に入ったのだろう。通りかかったルカさんが、なんの話?と顔を覗かせた。 途端、いいところに来たと呟いたテオさんがルカさんの胸倉を掴んでその場に座らせる。 「問題です、アイリーンはエリックをどう思っているでしょうかっ!」 テオさんの言葉に一瞬目を丸くしたルカさんは、すぐになんとなく状況を理解したのか少し考えてから口を開いた。 「都合の良い手駒?」 うん?といち早く聞き返したのは先生だった。 その場の視線を一身に受けながら、ルカさんは続ける。 「だってほら、自分を生き返らせようとして色々やってくれてんじゃん?だからエリックの恋心をうまーく利用して、生きかえろうとしてんのかなぁって」 「……るか、お前女の人になんか嫌な思い出でもあんの?」 「中学校の時俺のことこっぴどく振ってくれちゃったクラスメイトがさぁ、テレビに出た途端"実は昔から長門くんのこと好きだったのー"って言ってきたことが……って何言わせんですか違いますよ」 ……思わぬところで人間関係の闇を垣間見てしまった……。残酷過ぎて笑えない。慌てて訂正しようとするルカさんの肩にポンと叩いたテオさんが今日飲みに行こうか奢ってやるよなんて言っているのをぼんやり眺めて、思う。 やっぱりエリックの一方的な恋っていうのが妥当なのかな。でも、なんか。 「――腑に落ちない?」 まるでこっちの心を読んだようなタイミングで、先生が言う。 「別に今のはあたしたちの解釈だから、参考にする程度でいいのよ。鵜呑みにすることないわ。アイリーンを演じるのはあなたなんだから。ねぇ、おひぃちゃんはどう思う?アイリーンの気持ち」 ルカさんとテオさんがこちらを見て、俺の返答を待っている。それを受けながら俺は考えて、考えて、考えて――……上手くまとめられないまま、口を開いた。 「なんて言ったらわからないんですけど、忘れて欲しくなかった、とか?共犯、というか」 共犯?と誰かが呟いて、俺は小さくうなづいた。なんとなく、アイリーンはエリックの思うままにして欲しかったのだと思うのだ。エリックが望む通りになれば、他のことはどうでもよくて。だってそれは、自分のためにしてくれてることだから。 「アイリーンはエリックを愛してた、ってこと?」 首を傾げたテオさんに、俺はもう一度うなづいて。 振り返る。 真剣な顔で振り付けを練習している伊織さんが、そこには居た。 「だってあの人を嫌いになる状況を、想像できないんですよ」 数秒後。 何故か微笑ましげな眼差しを向けてくる3人に、今度は俺が戸惑わされることになった。

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