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第20話

純真無垢な王女クラウディア。 女王となってもその本質は変わらず、彼女は思うがままに生きてきた。結果として彼女は暴君になったけれども、それはやはり、偶然というしかない。彼女が賢王となった可能性だって、きっとどこかに存在していた筈だから。 ……幼い子どものように傲慢で残酷なクラウディア。 不幸にも彼女に愛されたのは、妻を持つ平凡で誠実な男だった。 決して自分の恋人にはならないだろう男を手に入れる方法をクラウディアは考える。考えて、結論付けた。 もしも男が自分の為に死んだのならば、それは男の心を手に入れたと言ってもいいだろう。 愛に狂ったクラウディアは、自分を騙した怪人すらも欺いた。「私を操るあの悪魔をどうか打ち倒してくださいませ」と男に泣きついたのだ。 男は善意を以って、怪人の討伐に彼の住処である教会に赴いた。そこで、怪人に決闘を申し込む。普通に戦えば必ず怪人が勝つだろう。それを知っていたクラウディアは、教会に火を放つ。 燃え盛る炎に焼かれた怪人は、愛した亡霊と共に地獄へ落ちるだろう。勇敢な男は骨だけを残して神の御元へ。男の遺骨を回収したクラウディアは、それに夜な夜な愛を囁いた。 ――これは、そんな物語。 愛に溺れた人間達の群像劇。もちろん主役は暴君クラウディア。けれど俺たちが演じるのは、そちらではなく。 誰も知らない怪人のひたむきな愛だ。 薄墨色のヴェールを纏ったアイリーンは、ただ黙って怪人エリックの行う悪を見届けている。 幼い少女を騙して暴君に貶め、民の苦しみを集めるエリックを止めろこともせず、ただその愛を注がれ続ける。 それが悪だとはわかっているのに。 アイリーンは哀しんでいたのだろうか? 自分の為に罪を犯すエリックの姿は、きっと哀しいものだっただろう。けれど、それだけではない。 もっと仄暗い感情が、胸の中を満たしていたのだ。 黒いシャツに、燕尾服。仮面を嵌めシルクハットを被りエリックに扮した伊織さんが、ステージの上で跪く。モニターにはその切なげな表情が映し出されていただろう。観客席から漏れたため息が、会場に木霊して。 いつもより色気を増量したような仕草で手袋を外した伊織さんは、客席から見えないようヴェールの中に裸の手を差し入れ、俺の頬に触れた。ガラス細工を扱うような繊細さで頬から首筋までを撫で下ろし、吐息混じりに囁いたその言葉をマイクが拾う。 『……あいしている』 俺は答えない。だってアイリーンは亡霊だから。 だけど、ヴェール越しに伊織さんの手に触れて、薄く微笑んだ。俺の表情は伊織さんにしか見えないんだけれど、観客にも伝わっただろうか。 アイリーンも、エリックを愛しているって。 きっと伝わりきらないだろう。 それで良い。俺はピアニストなのだから。 この気持ちを乗せて弾けばいい。 どんな場面でも、アイリーンがエリックの為に奏でる音は全て、彼へと送る愛情だ。 先生が言っていた独占欲の意味が、今ならわかる。 自分の為に足掻くエリックを見ているのはとても哀しくて、苦しくて、けれど嬉しかった。 それはエリックが自分を愛している何よりの証拠だから。死してなおも彼の心の中には自分だけがいるのだと、愛しい愛しい彼はまだ自分のものなのだと証明されて。 死んでしまいそうなぐらいに幸福だった。 それが、俺の演じるアイリーン。 怪人と亡霊。2人の関係にあえて名前をつけるならば、やはり"共犯"というのが1番しっくりくる。 罪の重さは、おんなじだ。 そんなことを考えながら、俺は鍵盤を押し込んだ。 場面は移り変わって、炎に包まれた教会の中。 動揺した隙に腹を剣で刺されたエリックは、それでもアイリーンの元へと向かう。 ピアノの前に座ったままのアイリーンを見つけて、エリックはボロボロになりながらも笑った。 そして、手を伸ばす。亡霊でしかないアイリーンを、抱きしめる。 『愛してた。僕は、君を愛している。君と共にゆけるのならば、地獄だって怖くはない。君のいない世界などもううんざりだ。導いておくれ、僕のアイリーン』 アイリーンは答えない。 答えずに、今にも死んでしまいそうな愛しい怪人の頭を抱きしめた。 少しずつステージの照明が消えていく。 最後の最後に、エリックは幸せそうにこう呟いた。 『あぁ、やっと笑ってくれた』 アイリーンの出番が終わり舞台裏に戻った俺は、開口1番言った。 「触り方がやらしい」 すると前を歩いていた血糊塗れの伊織さんが、振り返って首を傾げる。 「え、そうだった?」 「そうですよ。初日から思ってましたけど段々ひどくなってきてたじゃないですか。こう、するする~って。危うく声出るところでしたよ」 「でも柊だってノリノリだっただろ」 「つーかお前ら公衆の面前でイチャつき過ぎ。何見せられてんのかと思ったわ」 先に戻っていた青年ジーク役のルカさんは心底呆れたようにそう言って、舞台の表側を覗く。 劇はクラウディアが歌いながら玉座に腰掛け、灰で汚れたジークの頭蓋骨を撫でているところだった。その脇に置かれた盃にはテオさん演じるジークの妻"イリス"が盛った毒が入っていて、それを飲んだクラウディアが玉座から崩れ落ち、登場したイリスが『私を愛したあの人の仇よ』と呟いて、終わりだ。 五日間続いた歌劇『クラウディア』も、今日が千秋楽。 俺がアイリーンを演じるのもこれで最後になる。 思わず安堵のため息を漏らしながら、俺は訂正のためルカさんに向き直った。 「いちゃついてたのはアイリーンとエリックです」 「大事なのはそこじゃねぇんだよなー。なんかお前らの印象強過ぎて俺らまるっと食われた気がすんだけど」 「大丈夫大丈夫、名演だったよ。それにしてもお前幸薄めの役似合うなぁ」 「おう喧嘩売ってんのか伊織さんよぉ」 まだ本番中だから声量は控えめだけれどいつも通りの掛け合いをしている2人を見ている間に、俺は大事な忠告を言い忘れていることに気が付いた。 もう今回の件も一区切りついたことだし、きちんと言っておかなくちゃ。 「伊織さん。この間のこと、俺なりに色々考えたんですけど」 「ん?」 「やっぱりアレは浮気の範疇に入ると思うんですよね」 「は?浮気?なにお前浮気したの?」 「いやいやいやしてませんけど」 慌てて顔の前で手を振り否定する伊織さんを、俺は真っ正面から見据えて言った。 「もう2度と俺以外の伴奏で歌わないでくださいね。浮気ですよ、浮気」 だって俺は伊織さんのものなのに伊織さんは俺のものじゃないなんて、理不尽じゃないか。 ……今まで気付いていなかった独占欲を俺に自覚させたのは、あんたなんだから。 後日。 エリック役の伊織さんがやたら色っぽかったと評判になって、ドラマや芝居の仕事が舞い込んできたのはまぁいいとして。同じ舞台にヴェールを被って出た"glow"のピアニストは果たして男性なのか女性なのかという議論がされるようになったのは誠に遺憾である。

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