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第34話

「ちょっ……と!どしたのひーらぎ!その顔!」 「色々ありまして」 なんとか事務所に出勤すると、迎えてくれたテオさんが開口一番そう叫んだ。なんだかんだでいちばん歴の長い先輩だ。相談したい気持ちはあるけれど、内容が内容だけに口にし辛くて結局そんな風に誤魔化した。テオさんはやっぱりちょっと納得がいっていない様子で、でも気を取り直したようにこう言った。 「んっと、じゃあほら!こっち来て。見せたいものがあるんだ」 いつもより優しく引かれた腕に、俺のよりも小さい指がきゅっと絡む。また心配をかけてしまった。だめだなぁ、と思う一方で暖かい気分にもなる。ひとりだった頃は得られなかった感情だ。頼りになる先輩がいるというのは、こんなにも。 それはそれとして、見せたいもの? 「あれ、見て」 たんたんと軽やかに階段を駆け上がるテオさんに続いて、レッスン室の入り口から中を覗き込む。テオさんの指が指し示す方向を見てみれば、そこには出海君がいた。 歳相応に長めだった髪をばっさり切って、まだ午前中にも関わらず大粒の汗を流しながらステップを踏んでいる。曲はテオさんの『百花繚乱』だ。格好いい和風ロックだからこそ、フリの激しさは群を抜いている。流石に完璧とはいえないが、でもダンスなんて初心者だって言っていたのに。たった数ヶ月でよくここまで。 「すごい」 漏れた言葉は、紛れもなく本心だった。 ふふんと得意げに胸を張ったテオさんが、しかし小声で教えてくれる。 「あれからすっかりハマったみたいでねぇ、最初こそ反抗的だったけどしばらくしたらもうあの調子。今じゃ朝っぱらから来てずーっとやってるよぉ。ついでに指導してくれーとか新しいの教えてくれーとかうるさくってさぁ、おれまで寝不足だよ。まぁひっさびさに基礎からやったせいで変に火ぃ点いちゃってね、ついしごき倒しちゃったけどぐちぐち言いつつ呑み込み良いしぃ、おれも頑張った甲斐あるよねぇ」 「ハマった、ですか」 「そ。やぁっとおれらの仲間入りって感じかなぁ」 ここからじゃあしっかりとは聞き取れないけれど、微かに聴こえてくるハミングは音程もリズムも合っている。動きに合わせてところどころ声が跳ねたりしている辺り初々しくて、微笑ましかった。 彼は間違いなく成長している。きっと、普通よりずっと早いスピードで。 「じゃあ正式にメンバー入りしたんですね」 「それもそうなんだけど、もぉっと根本的に」 「え、」 振り返った先で、テオさんは口振りだけ呆れたようにこう言った。 「音楽バカになっちゃったんだよ、あいつも。おれや、るかやぁ、そーたも、んで多分しゃちょーもそうだよ。音楽が好きで好きで仕方ないんだ。炎上しよーが挫折しよーがやめらんないの。馬鹿でしょ!」 「おんがく、ばか」 「うん。ひーらぎだって実はこっち側でしょ。けどうちでいちばんの音楽バカは、あいつ」 「いろんなアーティスト見て来たけどさ、いおり以上の音楽バカは見たことないね。ひーらぎと組んでからなんて特にそう。あいつおまえの前ではかっこつけだからそんな感じしないかもだけど、じっさいはすんごいバカだよ。だから、」 どうか見捨てないでやって。 そう言ったテオさんは、やっぱり年長者の顔をしていた。 この話を出海君がこっそり聞いていたなんて、俺は全く気付かずに。

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