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第2話
労働者としての日々が始まった。
主な労働は、兎乃国の荒涼とした土地の開拓作業だった。朝は日が昇る前から広場に集められ、その日の労働内容を言い渡される。大岩を砕き、運び、硬い土を耕す作業を延々と続けさせられる。
兎乃国の領地は土が荒く、耕したところで作物が採れるとは到底思えないものだった。それでも秀瑛たち労働者は、兵の監視の下、果てしのない作業を繰り返すのだ。
壬乃国であれば今は春の季節のはずだが、ここにはまだ冬がどっしりと居座っていた。
けたたましい半鐘の音で目覚め、すぐさま広場へ引っ張り出される。薄い布一枚で夜を過ごし、凍えた身体を太陽が昇る前の冷たい空気に晒さなければならない。
ガチガチに震える身体を、労働することで温める。やがて日が昇ると、今度は乾いた風に水分を持っていかれ、ずっと喉の渇きを堪えたまま、作業をさせられた。
過酷な労働の日々に、秀瑛の手はすぐさまひび割れ、肌も髪もカサカサに荒れた。
監視の兵たちは、労働者の動きが少しでも止まると、容赦なく怒号を飛ばし、ときには棒で打たれることもあった。
秀瑛に対する兵たちの仕打ちはことさらきつかった。一つに結んだ長い髪を引っ張られ、棒で足をかけられ、転ばされることもしょっちゅうで、秀瑛はそのたびに無言で立ち上がり、作業に戻ることを繰り返す。
「王様の口には合わないだろう」と、食事を取り上げられ、空腹のまま午後の労働に突入することもしばしばだ。
「お綺麗な顔がボロボロだな。ここでは手入れをしてくれる下僕もいないからな」
城から連れ出されたままの着物は、三日も経つと袖も裾も破れ、布の間から腕やふくらはぎが見えていた。絢爛豪華な刺繍を施された布は泥で汚れ、他の囚人たちよりもボロを纏った有様で、兵たちはおろか、他の労働者にまで笑われる。
壬乃国の王の惨めな姿は、兎人たちの恰好のからかいの種になり、そんななりを晒しながら、秀瑛は歯を食いしばって働いた。
元々城にいたときから、民の暮らしを知れという教えにより、贅沢はしてこなかった秀瑛だ。空腹も過酷な労働も、初めての体験というわけではないから耐えられる。
十四の歳には、城下の兵たちとともに、訓練も受けた。秀瑛の身分が周りに知れると、扱いが不平等になるからと、ずっと身分を隠したまま過ごしていた。だから王座に着く直前まで、秀瑛は次期王として民に姿を現したことがないのだ。
兎乃国からの襲撃がなければ、即位はもっとあとになるはずだった。二十歳を迎えたときに、皇太子として民の前に顔見せをする予定だったのが、十八の今、秀瑛は壬乃国の王になり、兎人たちの憎悪の対象として、こうして衆目に晒されている。
いつ死んでもいいと思っている。だが天命はまだ下らない。だから今はただ黙々と、秀瑛は与えられた作業を繰り返すだけだ。
ただ、兵士たちの揶揄が鬱陶しかった。すぐに音を上げるだろうと思っていたのが、思いの外強靱な精神を見せる秀瑛に、兵たちの仕打ちが度を増していく。
五日目になると、裂けた着物の裾がすだれ状になり、かろうじて布を纏っているような有様になっていた。石を運ぶときに地面に飛び出た木の枝に裾を引っかけ、足を止めれば監視兵が怒鳴る。
「おら、さっさと働け。休むんじゃねえ」
どう見ても休んでいるのではないと分かるだろうに、兵士はニヤニヤしたまま棒の先で秀瑛の身体を突っついてきた。
「早く動けよ。そんなペラペラしたもん纏ってっから動きづらくなるんだよ。いっそ裸にでもなりゃあいい」
「そりゃいいな。見た目は女みてえだものな。少しは楽しめるか」
からかいの声が飛び、下卑た笑いが起こる。
周りの兵や囚人たちに比べ、まだ年若い秀瑛は、幼い風貌を残しており、それも彼らの嘲笑の種になった。ボロ布を纏っていても、そこから見える肌は白く、棒を使ってわざと捲ってくる。
「娯楽のない作業場だ。目を楽しませてくれや」
裾を割って入ってきた棒でさらに布を捲られ、秀瑛は我慢できずにその棒を掴み、渾身の力で払った。
棒を振り払われた男が一瞬驚き、次には「生意気な」と、棒を振り上げる。秀瑛は打たれるのを覚悟で男を睨み据えた。
「打つなら打てばよい。お前たちの娯楽に付き合うつもりはない」
低く、それでもよく通る声で言い放つと、棒を振り上げたままの男の動きが止まり、それからもの凄い形相で睨みつけてきた。
「……粋がるなよ。ここでは王様の我が儘なんざ通じねえんだから」
「私がいつ我が儘を言った。作業を中断させたのはお前のほうだろう」
「うるせえっ!」
振り下ろされた棒を咄嗟に掴み腕を振ると、男の身体がいとも簡単に反転し、地面に転がった。
「これしきのことで膝をつくのか。訓練がまるで足りないな。お前の仕事は監視ではないのか? 労働する者の邪魔をしてどうするのだ」
奪い取った棒を地面に投げ、秀瑛はすだれ状になった自分の着物の肩を掴み、思い切り引き裂いた。
「確かにこれでは作業がしづらい。こうしておけば枝に引っかからずに済む」
そう言いながら、秀瑛はもう片方の着物の袖も取り去り、裾も引き裂いた。布が斜めに裂け、腿まで露わになる。そんな秀瑛の姿を、周りの者たちが呆気に取られて眺めていた。
「さあ、私は作業に戻るが、まだ文句があるのか」
秀瑛に棒を奪われた兵士は苦々しい顔を作り、立ち上がったと思ったら、そのままその場を去っていく。いたぶるつもりが逆襲を食らい、面目を潰されたのだろう。
秀瑛は何事もなかったように石を担ぎ、再び足を進める。
どの輩も下品で教養のない、愚かな兎人どもだ。味方のいる前でしか大きな口を叩けず、ほんのわずかの反抗に怯む。挑む勇気がないなら、初めからちょっかいなど出さなければいい。
淡々と石を運ぶ秀瑛を、周りの者たちが忌々しい目で眺めていた。
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