3 / 54

放課後ー1

 その日、授業が終わって設楽が化学室に顔を出すと、顧問じゃない方の化学教師、大竹が準備室から顔を出してきた。 「設楽、ちょっと来い」 「はい」  1年の化学は、A組からC組までを高柳が、D組からF組までを大竹が受け持っている。設楽はD組なので、大竹の受け持ちだ。  大竹は長身を猫背にかがめて化学室に入ってきた。人を食ったような三白眼。同じ化学教師だというのに、高柳の爽やかさとのあまりの違いは何だろう。おまけに大竹は「頑固ジジィ」だ。そりゃDからFの生徒達が「なんで高柳のクラスにならなかったんだろう」と地団駄を踏むのもしょうがない。  もっとも、設楽はこの化学教師を嫌ってはいなかった。授業は厳しいし点も(から)いが、理不尽なことは押しつけない。部活を放って山中のいる美術準備室に居座っている高柳に比べれば、大竹の方がどれだけまともな教師であることか。  と、思うのは、設楽が高柳に嫉妬しているせいだろうか……。 「お前、こないだの溶解熱の実験の時、休んだろ。今日中に実験して、レポートを明日までに提出しとけ」 「え、まじ?」 「せっかく化学部なんだから、まじめな実験もしておけ。試験に出るぞ」  大竹は化学部の顧問ではないが、化学室に隣接する化学準備室にいつもいるのは大竹だ。薬品などは化学教師の許可がないと薬品棚から出せないから、いつでも美術準備室に雲隠れしている高柳に替わって、実際に化学部の面倒を見ているのは大竹の方だった。長く接していれば情も湧く。「頑固ジジイ」の大竹も口喧(くちやかま)しい事を言いながら、化学部員には愛情めいた物を見せてくれていた。  本当は今日はお化け煙の実験をするはずだったんだけどな~等と言いながら、その場にいた部員達は設楽の実験を手伝ってくれた。  蒸留水を温めて温度を測っておいたところに水酸化ナトリウム水溶液を注ぎ、30秒ごとに5分間温度を計る。同様に、塩酸と水酸化ナトリウム水溶液を温め、混ぜ合わせて中和したときの温度を計る。  ……地味に面倒くさい実験だ……。 「おし、手分けしてやっちまおう!」 「でもせっかく化学部なんだから、授業の時より、もっと細かく温度設定しようぜ」 「いいね。懐かしいなぁ、これ!」  2年も3年も、懐かしがって率先して実験器具を揃えていく。9人ほどのこじんまりとした部活だが、いつもいたずらめいた実験ばかりしているせいか、仲も良くて結束は固い。久しぶりのまじめな実験に、逆にみんなワクワクしているようで、下校時刻の6時ギリギリまで実験に付き合ってくれた。 「じゃあ俺器具洗ってレポートやっつけちゃうんで、みんな先帰っちゃって下さい。今日はありがとうございました」 「お~、終わったら駅前のマック来いよ~」 「忘れる前にレポート仕上げたいんで、間に合わないかも。一応顔出します」 「マジメかよ!」  これ以上付き合わせるのは申し訳ない。設楽はみんなを追い出して、ビーカーやら試験管やらを冷たい水で洗った。ざっと拭いて道具棚に戻し、レポートを書いてると大竹が顔を出す。 「もう6時半になるぞ。俺ももう帰るから設楽も適当なところで切り上げろ。別にレポートは明日じゃなくても良いぞ」 「いや、忘れちゃうとアレなんで」 「そうか。遅くなる前に帰れよ」  大竹は化学室の鍵と一緒に紙コップに入れたコーヒーを設楽の前に置くと、「戸締まりしたら、鍵は職員室に返しておけ」と言って、帰っていった。  大竹のコーヒーは、豆から挽くらしい。高柳が前、化学準備室にいると大竹先生がコーヒーを淹れろって言うんだけど、豆の挽き方がどうの、お湯の温度がどうの、湯の注ぎ方がどうのってうるさくてかなわないんだよ……と、準備室に居つかない理由をぼやいていたことがある。このコーヒーも、大竹が豆から挽いたのだろうか。一口啜ってみると、コーヒーは驚くほど旨かった。
いいね
笑った
萌えた
切ない
エロい
尊い

ともだちとシェアしよう!