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小瓶の中の世界ー1

 誰も人のいない北棟3階の廊下。いつものように部活が終わると、設楽はみんなと別れてからここに戻ってきた。大竹は今日も6時半には帰ったようで、美術準備室の明かりだけが灯っている。  そっと、ドアから中を窺う。山中はいつも通りドアに背を向け、何かを作っていた。  たぶん、俺は先生の背中が好きなんだ。脇目も振らずに何かを作っている、そんな背中が。  元々、設楽が北棟3階に通っていたのは、山中の背中を見る為だった。だからもし高柳と山中があんな事をしていなくても、きっと設楽は前のように、こうして山中の背中を卒業するまでただ眺めていただろう。  ズボンのポケットに突っ込んでいた、結晶の入った小瓶を握りしめる。  この部屋は、小瓶だ。小瓶の中にいるのは、先生だろうか。 『でもできあがった結晶は手で触ると溶けて崩れるから、ただ眺めているしかなくて、その切なさが良いってさ』  ごめん、大竹先生。  俺はその切なさを、良いとは思えない。  俺は、見てるだけなんて、もういやなんだ……。    背中を見つめながら小瓶をぎゅっと握っていると、視線の先で山中の手が止まって、頭が少し傾いた。たぶん、壁の時計を見ているのだろう。それから深呼吸してから大きく伸びをし、手に持っていた道具を脇に置いた。 「せんせ」  少しだけ掠れた声をかけると、高柳から先に聞いていたのだろうか、やっと来たのか、と言う顔で山中が振り向いた。 「お前、どうやっていつも見つからずに戻ってくんの?昇降口のとこ、受付の事務員さん達まだいるだろ?」 「教職員用の駐車場の出入り口から入って、下駄箱通らずに北棟の階段から直で上がってきてる」 「上履きは?」 「階段下に古いの置いてるんだ。スリッパだと音響くし」 「……悪い事する気満々だな……」  呆れたように山中が設楽の足下を窺うと、本当にぼろぼろの上履きを履いている。設楽はへへへと、悪びれもせずに笑った。 「それより先生、いつも何作ってるの?前から気になってたんだよね」  いつも高柳が座っている、山中の右隣に立ってみた。そこから見ると、山中の手元がよく見える。そこには金属とガラスを組み合わせた小さなかけらがいくつも置いてあった。 「わ、綺麗。何これ」  触っても大丈夫かとそっと手を伸ばしてみたら、別に山中は何も言わずに触らせてくれた。カッチリとした金属と、懐かしい色の模様のついたガラスが、なんだか山中らしいと思った。 「それは作品のパーツ。2年に1度、グループ展やるんだ。良かったら来いよ」 「ありがとう!絶対行く!」  嬉しそうに笑う設楽に、山中が少しだけ寂しそうに笑った。 「設楽、ごめんな」 「……先生……」  謝らないでほしい。  だって、先生は何も悪くないのに……。 「昨日は大丈夫だったか?」 「うん。体も思ったほどきつくなかった。先生が、優しくしてくれたから」  できるだけ山中の負担にならないように言ったつもりだったが、山中は困ったように俯いた。パーツを片付ける手が、微かに震えている……。  そんな風に、思ってほしくないのに……。 「俺は、優しくなんかないよ……」 「先生!」 「優しくなんかないよ。俺はお前を傷つけることしかできないのに、なのにあんなこと……」  これ以上謝ってほしくなくて後ろから覆い被さるようにして抱きしめると、山中の体がびくりと震えた。  見た目よりもしっかりとした感触。ずっと、ずっと憧れていた。1度でも触れられたらと思っていた。でも1度触れてしまえば、もう2度と離したくなくなってしまう。  こんなにも、俺は先生を、好きだったのか……。  もう1度、しっかりと抱きしめ直す。今こうして山中に触れているのが夢じゃないと信じたかった。
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