45 / 111

アフターサービス

 SHR(ショートホームルーム)のある2時間目と3時間目の間の休み時間は、他の休み時間より長い。この休み時間は設楽にとって、昼寝の時間だった。  だが今日は、いつもの「なんとなくかったるいから昼寝の時間」ではない。本気で昼寝が必要だった。正直1、2時間目は体を起こしてノートを取るのさえきつかった。  たぶん、昨日美術室で抱き合っていた時間は、1時間にも満たなかったと思う。その1時間を短いと思うか長いと思うかは人それぞれだが、少なくとも男とのセックスに馴れない設楽にとっては、軽く死にたくなる程度にはきつかった。  いや……。  気持ち良かったんだけど……。  すごい幸せだったんだけど……。  もっとしてたいと思ってたんだけど……。  まさかそれがここまで体にダメージを与える物だとは、俺知らなかったからさ……。  SHRが終わって机の上で本気で落ちかかっていると、いきなり教室の中に大音声(だいおんじょう)が響き渡った。 「設楽!設楽いるか!」  一斉にクラスメイトの視線が集まる。  ……この声……。  高柳ぃ……! 「なんだよ高柳せんせ!寝てんの分かんない!?」  体を起こすのもきついので顔だけ上げて叫び返すと、高柳が「良いからこっち来い!」と廊下から中を覗き込んで手招きした。  腹立つ……!マジで俺きついのに……!  クラス中から「呼び出し?」「説教?」「何やらかしたの?」とひそひそ声が上がる。それはそうだ。設楽のクラスの化学は大竹が担当しているし、設楽が化学部員であることなど、ましてや化学部の顧問が高柳であることなど、クラスのほとんどの生徒は知らないのだ。端から見れば、設楽と高柳とは間には何の接点も見つからないのに、それをわざわざ呼び出しだなどと、他の生徒が不思議に思い、変に勘ぐってもしょうがない。  くそう、変なことで注目浴びたくないっつうの!  乱暴に席を立って何とか廊下に出ると、高柳に階段の踊り場まで連れて行かれた。 「お前、生徒手帳持ってる?」 「あ?持ってるよ?」  手を出してくる高柳を不審に思いながら生徒手帳を渡すと、高柳は当たり前のように手帳を開いて、中に何事か書き始めた。 「何?何書いてんの?」 「お前今日の4時間目体育だろ?ユキが泣きついてきたぞ。学校に登校するだけでも無茶なのに、体育なんか出たら死んじまうって。昨日大分無理させたって?設楽のこと壊したかもって、あいつ泣きそうだったぞ」  保護者からの連絡欄に体育欠席の連絡を書き、驚いたことにズボンのポケットから「設楽」姓のシャチハタを出して捺印までしている。 「……なんでうちの判子持ってんの?」 「2時間目授業無かったから、抜け出して買ってきたんだよ。体育見学すんのに、保護者の直筆と判子が要るのは一応校則だからな」  アフターサービス効いてるだろ?と高柳が生徒手帳を胸ポケットに押し込んでくる。「……小早川部長になったり、うちの親になったり、高柳も大忙しだな」 「まぁ愛しい設楽君の為ですから」 「空々しい……」  ククッと喉の奥で笑うと、ふと表情を改めて、高柳は設楽を見つめた。 「……そんなにあいつ、やばかった?」 「やばいって? 俺、他と比べたこと無いから分かんねぇよ」 「……そうか……。そうだよな……」  睨むように階段を見つめて黙り込んだ高柳に、思わず「でも俺は嬉しかったから良いんだけど!」と拳を固めて力説する。 「あんたには悪いけど、俺はもうチャンスさえあれば、ガンガン行く気満々だからさ!体が辛いとか言ってらんないよ!もう暫くしたら、俺とあんたの立ち位置逆になってるかもよ?」 「アホか。そう簡単に離れられれば、俺達も苦労しないっての」  高橋の顔は、どこか遠くを見るような、切なそうな顔だった。  ……そんな風に言われても……。  胸が、引き絞られたような気がした。  そんな風に言われても、設楽には「そう簡単に離れられない理由」も分からないのだ。  それは何故だと詰め寄っても、どうせ高柳は答えてくれないだろう。何も言わずに、この茶番に付き合わされているのだ。  それはつまり、自分は彼らにとって、ただの道具ということだ。  道具だと侮っているが良い。俺は、ただの道具では終わらない。  高柳を睨むと、高柳は設楽から目線を逸らした。 「あんまり、放課後覗きに来るなよ。一応、下校時刻ってモンがあるんだから」 「あんたに呼ばれた時しか来るなって?そうそう都合良くねぇよ、俺」 「……あぁ」  高柳は踵を返し、手を振りながら話を切り上げた。 「それは、分かってるから……」  階段を上がっていく高柳の後ろ姿を見送る。  その背中が苦しそうだと思ってしまうのは、何故だろうか……。

ともだちにシェアしよう!