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大竹先生のコーヒーー1

 翌日、今度こそ硫酸銅の実験を済ませようと化学室に行った。高柳はいるだろうか。  今は高柳に会いたくなかった。今週末は学祭本番だから、高柳の家にも行かなくて良いだろう。  山中には、正直を言えば会いたい。会って、話したい事がたくさんある。でも山中に会おうとすれば、必ず高柳がついてくる。  笹原の言葉が頭の中で渦巻いていた。  心の中で、何度も「俺は2人の都合の良い玩具(おもちゃ)なんだ」と呟く。それでも、山中が好きな気持ちは変わらない。  先生が好きだ。  先生に抱いてもらえるなら……。  笹原の話を聞いて、自分の気持ちが変わったとは思わない。でも、心の中に小さな石が投げ込まれたのも事実だ。  先生は俺を抱く事で、かえって先生のトラウマを払拭できなくなるのだろうか。だとしたら、俺は先生のために、先生の所に行かない方が良いのか……?  先生が好きだ。  先生に玩具にされていても、それは全然構わない。  でも、先生の心の為と言われたら……。 「どうした設楽。ぼーっとして」  声にびくりとして顔を上げると、大竹が立っていた。 「そんな顔してると、また怪我するぞ。痛いのが好きなら止めないが」 「あ、大丈夫です」  ぐっと顔を引き締める。そうだ。余計な事は考えないようにしないと。また大竹に迷惑をかけたくない。 「あの…、今日、高柳は?」 「また美術準備室だろ」  いなくてせーせーするけど、と、大竹が化学準備室の扉を開けて中を顎で示す。確かに、その中に高柳の姿はなかった。それを確認するなり、ほんの少しだけ、設楽の肩から力が抜けた。 「……何かあったのか、高柳と」 「え?」  ぎくりとして大竹の顔を窺うと、大竹は「まぁどうでも良いけど」と、設楽を準備室の中に入れて、冷蔵庫を開けた。 「コーヒー飲むか?」 「飲む」 「こないだの豆もう無いけど、お前コーヒーの酸味は好きか?」 「試してみる」  設楽の家では、コーヒーはいつもインスタントだ。だから、コーヒーの味を訊かれても正直分からないのだ。でも大竹の淹れるコーヒーなら、どんな物が出てきても、きっと旨いのではないだろうか。 「苦みは?」  苦み……。  その言葉は、コーヒーの味ではなく、違うものについて訊かれた言葉のような気がした。 「……苦くして」  設楽が小さく囁くと、大竹は「了解」と、短く答えた。  設楽の様子が変わった事に気づいているのかいないのか、大竹は黙々と取り出した豆をミルに入れて、ごりごりと挽き始めた。コーヒーを淹れる大竹は、授業中に見るよりも真剣な顔をしている。 「先生、コーヒー好きだよね」 「まずいコーヒーは飲みたくない。それに俺、コーヒー屋の息子だしな」 「え?」  今はカフェって言うのか?とぶつぶつ言いながらコーヒーの準備をする手つきが、どうりで随分慣れている。 「今は兄貴が家を継いでるが、豆は実家から毎週送られてくる」  ガキの頃から叩き込まれてるからな、と呟きながら、粉になったコーヒー豆の薄皮を吹き飛ばす。 「ねぇ、店でもそうやって薄皮って吹き飛ばすもの?」 「チャフのことか?あぁ、こいつが入ると渋くなるからな。大抵焙煎時に飛ばされてんだけ ど、俺は気になるからやっちまうなぁ。何?他人とジュースの回し飲みできないタイプか?今時のガキ?」 「そんなこともないけど。まぁ、先生なら良いや」  お湯が沸くまでの間、何となく手持ちぶさたになって、準備室の中を見回す。高柳の机にはゴチャゴチャと書類が積み重なっていた。その机から目を反らして、前から気になっていた事を訊いてみる。

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