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紛い物じゃない物

「先生、紛い物じゃない結晶が欲しい」 「ぁあ?」  学祭が終わって、打ち上げをしてみんなで盛り上がって。もちろん打ち上げに教師なんて来る筈ないから、平常授業に戻るなり、設楽は大竹を捕まえるために化学準備室に向かった。学祭の直後なので、部活は臨時で休みだ。話す時間はいくらでもある。 「紛い物じゃない結晶って、お前の作った結晶も紛い物なんかじゃないぞ」 「でも触れないじゃないか!俺は、指で触っても濁らない、日光で退色もしない、ちゃんとした結晶が欲しい!」  興奮したように語気を荒げる設楽に、大竹は全く熱のない、冷静な声で返した。 「鉱石って事か?」 「触っても時間が経っても変わらない結晶なら、鉱石でなくても良いんだ。ってゆうか、鉱石は自分の手じゃ作れないじゃん。俺は、ずっと変わらない結晶を、自分の手で作りたい!」  大竹は少しだけ考え込んで、「人工ダイヤでも作る仕事に就いたらどうだ」と肩を竦めた。 「今!今作りたい!」 「面倒くせぇこと言うなぁ。何?女にでもねだられたのか?」 「違う!」  別にねだられてはいない。相手も女ではない。だから、「違う」と言っても良いはずだ。  まぁ、あながち間違ってはいないのだが……。  自分が駄々をこねているのは分かっている。多分、俺は大竹先生に甘えているのだ。 「高校の化学室で作れるモンには限りがある。本気で作りたきゃ大学でやれ」 「今!」  ムキになる設楽に、大竹はしょうがないなと溜息をつくと、子供をあやすように頭をぽんぽんと叩いた。 「作るんじゃなくて、自分で採集するのはどうだ?」 「採集?」  採集というと、昆虫採集とか植物採集のイメージが強い。  結晶を、採集? 「化石の発掘と同じ事だ。ありそうな所に行って、自分で見つけて持ってくる。モノによっては石を割ってかけらを取り出したりするから、自分の手が加わってる感はある。良い石が見つかると気分良いしな」 「そんなことできんの?」  鉱石の発掘なんて、映画に出てくるトロールのようだ。っていうか、そんな山は所有者ががっつり囲っていて、一般人は入れないんじゃないのか?その疑問をそのまま口にすると、大竹は「そうでもないさ」と片頬だけで笑って見せた。 「水晶やトパーズは比較的出やすくて、山や川浚うと出てくること多いし、メノウなんかは海岸や川岸でも場所によっちゃ結構取れるぞ。まぁ、新しい鉱脈を開拓するのは素人には無理だし、素人が入れるとことなるとそんな大物は期待できないけど、この辺だと秩父や山梨の山で水晶が結構出るぞ。もちろん商売で掘ってるような、でかい鉱脈は所有者ががっつり囲って入山制限設けてるけど、俺、鉱石眺めんの好きだから、融通効く山あるぞ?」 「マジデスカ!?」  どんだけ結晶好きなんだよこのおっさんは!ロマンチストか!! 「え!?連れてってくれる!?」 「別にそれは良いけど、春になるまで無理だろ」 「何で!?俺、すぐ行きたい!」 「山だぞ。行くならテント泊だぞ。近郊とはいえ、山はもう相当寒いぞ。俺は良いけど、お前寒い中、河原キャンプできんのか?今時のお子様なんだろ?」  鬱陶しそうな大竹に、設楽は憤慨した。 「何で?できるよ!俺、雪山登山するおうちの子です!」 「……マジか」  これには大竹の方が意外そうな顔をした。なんだか大竹を出し抜いたみたいで、少し気分が良い。 「だから、ウェアとかシュラフ(※)の雪用装備もあるよ?ツェルトも立てられるし、煮炊きもできる。だからすぐ連れてって!」 「おおおう。……なんだ、意外だな……。お前、山家族か」 「ガキの頃からレジャーといったら山かキャンプにしか連れてってもらったことがないんだ。それよりさ、何でキャンプ泊なの?」 「天気が良いと、夜中に石英が光って綺麗なんだよ。でも入山許可の関係もあるし、山の夜道を歩くのは危険だから、いつもキャンプさせてもらってんだ」  青い景色の中で、月明かりを浴びて鈍く光る石英は、それは綺麗だと大竹が笑う。その景色を思い出したのか、満足そうに目を閉じて。  ……驚いた。そんな顔をするなんて。  優しい顔。  慈しむ顔。  こんな顔を、自分は誰かに向けられる日が来るのだろうか。 「ん?どうした?」 「いや、何でもないよ、先生」  設楽は慌てて大竹から目を反らした。  誰かに、優しくして欲しかった。慈しんでもらいたかった。お前だけが特別だよと言って欲しかった。  だから先程の優しい顔が、まるで自分の為に与えられた顔であるような気がしてしまうのだ。  あれは違う。あの顔は、美しい景色を想っての顔だ。俺のための顔じゃない。  なんだろう、この気持ちは。自分がまるで、世界で1人きりの存在にでも、なったような……。  あぁ、なんて事だ。どうやら自分は、ひどく参っているらしい。甘ったれた自己憐憫に泣きそうになる。 「先方に連絡して、許可出るまで少しかかるから、それでも良いか?」 「……分かった。場所教えてよ。色々準備するから」  なんだか急に気まずくなった。大竹に対して気まずくなるのは勘弁して欲しい。山中と気まずい今、大竹と2人でコーヒーを飲む時間が、今の自分にとって、唯一の癒しなのだから。 ********** (※)シュラフは寝袋、ツェルトはビバーク(悪天候や道に迷ったときの、緊急宿泊)用の簡易テント。どちらも登山・キャンプ用語です。

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