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青い夜ー2
何だか、胸が切なくなってくる。
あの時、美術室の中もこんな風に仄暗かった。頭の中に山中の姿がちらついて、何だか泣きたくなる。
設楽は頭を振って、山中の姿を頭から閉め出した。気がつくとすぐ山中の事を考えてしまう自分が情けない。自分の頭の中は、どれだけ山中の事でいっぱいなのか。
目の前にいるのは大竹だ。高柳と設楽のことを心配して、1番好きな景色に自分を連れてきてくれた、大竹なのに。
「……先生はさ、結晶が好きじゃん?高柳から聞いたよ。『飽和水溶液は外から見てもただの液体だけど、その中には溢れ出す限界ギリギリまで成分が溶けていて、ちょっとの温度変化と小さな種を与えてやれば綺麗な結晶になる。でもできあがった結晶は手で触ると溶けて崩れるから、ただ眺めているしかなくて、その切なさが良いんだ』。あんまり格好良いから、覚えちゃった」
「何だあいつ。そんな話したのか」
大竹は詰まらなそうに酒を呷った。酒に酔った大竹は、いつもより少し機嫌が良くて、口が滑らかになるようだ。普段なら言わないようなことも、今なら言ってくれそうな気がした。
いや、酔っているのは自分の方か。
「先生の中にはさ、そんな風にきっかけさえあれば結晶になるような、そのくせ手で触れられないような気持ちがあるの?なんか、恋?そういう恋とかしてるの?それとも、先生は恋を忘れた哀れな男なの?先生はさ、先生くらいは何か素敵な恋愛とかしてよ。大恋愛とかさ。すごい一途な奴。ドラマみたいな奴」
「なんだそりゃ。お前酔ってるな?」
「うん。酔ってる」
美しく光る青い世界は、恋の話をするのにふさわしい気がした。
「そりゃお前だろ。高柳と何かあったか?それとも山中か?話したいことがあるなら聞くぞ。どうせお互い酔っぱらってるんだ。朝には何も覚えちゃいないさ」
ポテチの粉を払いながら、あんまり当たり前のように大竹が言うので、設楽はぎょっとして大竹を見つめた。
「なんで山中先生が出てくんだよ」
「高柳と何もないなら、山中だろ」
「だから、何でそこで山中先生出てくんだって」
「だってあの2人、付き合ってんだろ?」
な……っ!?なんですと!?
まずいじゃん!まずいじゃん同僚にばれてるじゃん!!!他にも知ってる人いるの!?まさか学校公認!?
「何で先生知ってるの!?」
「あのなぁ……。俺に追い出されたからって、嬉々として昼休みも放課後もずっと2人で準備室に籠もってるの、どう考えてもおかしいだろ。だいたい俺だってあのフロアで働いてんだぞ。美術準備室のドア、壊れてるし。前通れば気がつくっつうの」
「だって学校ではエロい事してないって言ってたよ!?」
「……なんか生々しい発言だな……。いや、エロい事してなくても分かるだろ。台詞とか、雰囲気とかで。つうか、お前はあの2人がエロい事する仲だって知ってんのかよ」
「いや、うん……えっと……」
さすがに焦って何と言って良いか分からなくなる。酔いも手伝ってプチパニックに陥った設楽の頭をポンポンと軽く叩くと、大竹はのっそりと立ち上がった。
「あぁ待ってろ。もう少しつまみでも作るわ。設楽、竃に火熾せるか?焚き火台もあるけど」
「散々直火で火焚いてるんだから、竃で良いじゃん。待って、酔っぱらってライター点けられないかも」
「ちっ、しょうがねぇな」
大竹が立ち上がって、テーブルのランプを点け、竃を整え始めた。手慣れた動作で枯れ枝と薪を組み、ライターで火を点ける。暫くして焚き火が熾ると、竃の上に鍋を置いて、その中で皮ごと短冊に切ったジャガイモとコンビーフを手早く炒めていった。
「先生手慣れてるね。いつでもお嫁に行けそうだよ」
「じゃあお前が貰ってくれ。誰が嫁だ。こんなごつい嫁いらねぇだろ。ったく、酔っぱらいめ」
朝食用に持ってきていたらしいソーセージも炒め始め、どうやら大竹は朝までコースのつもりらしい。
「あんまり遅くまで飲むと、明日車運転できなくなるよ」
「あぁそうか……。くそ、車のこと忘れてた」
「先生も相当酔っぱらってるなぁ」
「うるせぇ。お前も早く免許取れ。俺ばっかり飲めないのは不公平だ。つうかお前未成年だろ」
唇を尖らしてぶつぶつ言う大竹が何だか可愛くて、設楽は思わず笑ってしまった。早く免許取れって、免許取る様な年になっても、こうして一緒にこの景色を見に来るつもりなのだろうか。
もしそうだとしたら、嬉しかった。
自分を誘ってくれる人がいる。こんな俺でも来年も再来年も一緒にこの景色を見ようと言ってくれる人がいる。
山中の台詞を思い出す。
『やっぱり、別れ話かな?』
『遠慮はしなくて良いからね。無理して欲しくないんだ』
何だよ、何だよ先生。先生は、俺が別れ話を切り出すのを待ってるのかよ。
チクショウ。チクショウ……。
酒のせいだろうか。いや、酒のせいにしてしまおう。
設楽は焚き火を見ながら、肩を震わせて泣き始めた。
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