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アルバイト-1
それから毎週のように、設楽は土曜に用事を作っては、家にいないようにした。友達と出かけたり、家族で山に行ったりすることもあったが、大竹と一緒にいることが多かった。化学室で用事を言いつけられる事もあったし、大竹の家でバイトすることもあった。
「は?バイト?」
最初にバイトの話を持ちかけられたときは驚いた。教師の家で生徒が個人的にバイトなんて良いのだろうかと思ったが、高柳や山中と何をしていたのかを思えば、どんなことでも些細なことに思えた。
「ああ、子守のバイト。日当5000でどうだ」
「高っ!何時間拘束されるの!?っていうか、子守って、誰の子供?先生の?」
そう言うと、大竹は厭そうに鼻に皺を寄せた。
「何で俺に子供がいるんだよ、彼女すらいないのに。くそ、イヤミか。そうじゃなくて、実家に出戻りの姉がいるんだが、用事がある度に俺に5歳の娘を預けに来るんだ。だがご覧の通り、俺は子供が苦手だ」
きっぱりと言い切る大竹に、「そうだろうね」と苦笑する。5歳の姪っ子相手に苦戦する大竹の姿が目に浮かぶ。うわ、それちょっと見たいな。
「お前そういうの得意そうだし、飯も作れるだろう?お前があいつの面倒見てくれれば、俺は自分の仕事に専念できるしな」
少し考えて、日当はいらないと断った。多分大竹がそう言い出したのは、設楽に土曜日の用事を作るためだ。
もう観念した方が良い。大竹は自分と高柳達の話をちゃんと把握していると考えた方が良いのだろう。だとしたら、自分のために土曜に居場所と言い訳を作ってくれようとしている大竹から金を貰うなんて訳にはいかない。
「俺、子供嫌いじゃないし、コーヒーと昼飯食わせてくれればそれで良いよ」
「……お前、5歳児舐めんなよ……」
本気で言っているらしい大竹が面白くて、設楽は何だか楽しくなってきた。大竹が姪に翻弄されているところを眺めるために、こっちが金を払っても良い位じゃないのか?
「じゃあ電車賃として1000円頂戴よ。それで手を打つからさ」
「拘束時間長いぞ。あいつ午前中から来て、夕飯前にやっと帰るんだぞ?下手すると夕飯食ってもまだ帰らないぞ?せっかくの土曜に教師の家に拉致られて、1000円とかあり得ないだろ」
結局すったもんだの挙げ句、昼飯の他に3000円で話が付いた。教師は生徒またはその家族から金銭・物品を受け取ってはいけないことになっているのだから、支払うべき賃金を支払わないということは逆に金銭を受け取ったのと同じ事だと大竹が激しく主張したからだ。
今更何を言ってるのだ。生徒と個人的な付き合いがあってはならないというルールを破ってるのだから、その辺もなぁなぁで良いだろうに……。
とにかく、そんなやりとりの末に、設楽は月に1度、多い時には月に2度も、大竹の家に通っている。
大竹の姪はメチャクチャ可愛かった。何故大竹の姪のくせにこんなに可愛いのかと言いたくなるほど可愛かった。
名前は優唯ちゃんという。舌っ足らずな口で「ゆいちゃんね、ゆいちゃんね」と話しかけてくるのがまた可愛らしさ倍増だ。こんな可愛い子の相手をして金を貰えるなんて、かなり贅沢な話だ。
優唯は大竹の部屋で初めて会った設楽に少しびっくりした顔をしたが、すぐに「ともお兄ちゃん」と懐いてくれた。背中によじ登ったり頭に這い登ったり高い高いを延々せがんだり、そりゃ多少疲れるが充実した時間を過ごせるようになった。土曜日に手持ち無沙汰になると山中のことを考えて辛いだろうと思っていたが、優唯のおかげでそんなことを考えている暇もなかった。
1日中優唯と遊んで、夕方になると母親の清香 が迎えに来る。優唯の母親だけあって、とても綺麗な人だ。少し儚げな印象が、その美しさを際だたせている。言われないと、誰もこの人が大竹の姉だとは思わないだろう。
「この子、ともお兄ちゃんが大好きで、次はいつ会えるのって、そればっかり。ありがとうね、智くん」
ふんわりと微笑まれると、どうして良いのか分からなくなる。大竹の姉だと言っていたが、妹の間違いではないのか。高校生の設楽ですら、守ってあげなくては、という気になる。
優唯達が帰った後、2人でビール片手に夕飯をやっつけながら、「あんな綺麗な人と別れちゃうなんて、元旦那はバカな男だなぁ」と呟くと、大竹は忌々しそうに「全くだ」と吐き捨てた。
清香は、某大手デパートに勤めていた時に、バイヤーの男と恋に落ち、子供が出来たことをきっかけに仕事を辞めて結婚したのだそうだ。清香は仕事を続けたがったが、相手の男がそれを許さず、結局清香は仕事を辞めた。
「ところがその1年後、他の女にも子供が出来たとかぬかしやがってさ。そっちと結婚するから別れてくれときた。優唯はどうするんだって詰め寄ったら、ちゃんと生ませてやって、籍にも入れてあげたんだから良いだろってさ。彼女と結婚させないって事は、子供を堕ろせって事か、なんて自分勝手でひどい女だって、自分のことは棚に上げて、姉貴を悪者にして捨てたんだよ。どっちが自分勝手だ。どうせ今頃、同じ理由で何回も女房を捨ててるんだろうよ。せめて仕事を辞めてなきゃ良かったんだけど、どうにももう後の祭りだよ」
大竹は酔うとよく喋る。ビールはいつの間にかバーボンに移行していた。
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