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アルバイト-2

「その男っつーのが高柳にそっくりでさー。吸ってる煙草の銘柄まで同じなんだぜ?」 「何?先生、それで高柳嫌いなの?」  酒が入っているせいで設楽がげらげら笑うと、大竹は憤慨して「だから、俺は高柳が嫌いなんじゃない。ああいうタイプの男が嫌いなんです!」と喚いた。 「大体、高柳ってそうだろ?あいつだってそーゆー自分勝手な男だろ?そんな奴と1日ツラ付き合わせるとか、あり得ないだろ?」   酒臭い大竹の言葉に、胸がズキリと痛んだ。  高柳の部屋に行かないようになって暫く経った頃、設楽は放課後、山中が先に帰った美術準備室で、高柳と2人で話をした。高柳は先日の興奮を納めて、落ち着いた顔をしていた。 「お前、ユキにもう会わないって言ったって?ユキが好きだったんじゃないのか?もう、ユキのことは良いのかよ」 「もう会わないとは言ってないし、山中先生を諦めたつもりはないよ。ただ、先生はひょっとしたら、もう誰かを抱く必要はないんじゃないかと思ったんだ」  設楽の台詞に、高柳は怪訝な顔をした。何を言われているのか、まるで分かっていないらしい。  どうしてだろう。どうして高柳は、こんなに先生を好きなのに、先生のことが何も分かっていないんだろう。 「先生、言ってたよ。自分が男を欲しいと思うよりも前に、高柳が男を連れてくるって。だから、自分は本当に前みたいに男を抱きたくなるのかどうか分からないって」  高柳の目が見開いた。その可能性を全く考えていなかったようだ。  なんだか高柳、子供みたいだな。おかしいな、高柳のことを、可愛いと思うなんて。 「だからさ、暫く会わないようにしてみようって。それでもやっぱり先生が爆発するようなら、その時はまた俺を呼んでよ」  当たり前のようにそう言うと、高柳さすがにバカなと頭を振った。 「そんな都合の良いこと……」 「都合が良いのは最初からでしょ」  設楽が笑ってみせると、高柳は震える目で設楽を見た。 「設楽。……ごめん」 「謝んないでよ。俺は別に先生を諦めたつもりは全くないんだから」  高柳の眉間にぎゅっと皺が寄り、目がきつく閉じられた。  泣き出すのかと思った。  その顔が、高柳もずっと長い間苦しんでいたことを示していた。  ……自分勝手……。確かにそうなんだろう。高柳のしてきたことは自分勝手で、残酷なことだ。だが、設楽はそれをひどいとは思わなない。  高柳が始めてくれたから、山中に抱かれることが出来たのだ。あの日の朝焼けを迎えることが出来たのもそのおかげだ。  高柳も、もがいて苦しんでいた。だから、俺は高柳を恨みはしない。  酒に酔った大竹は、高柳への愚痴を言うと、さっさと床に伸びて眠ってしまった。  大竹の部屋は想像していた通り、シンプルな家具が必要最低限なだけ置かれた、すっきりとした部屋だ。居間には焦げ茶のラグが敷かれていて、その上にローテーブルが置かれている。そろそろコタツになるのだろうか。何となく、想像通りでおかしかった。 「先生、寝るなら俺、もう帰るよ」  大竹の形の良い横顔が寝息を立てている。  変なところが固いくせに、変なところはインモラルだ。生徒と2人で酒盛りをして、眠りこけてしまうのだから。  部屋の隅に優唯ちゃんのオモチャが落ちていた。清香さんに連絡をしておかなければ。3回目に会った時、清香は設楽に携帯番号を預けていった。優唯の面倒を実際に見ているのは設楽なのだから、何かあったら直接連絡を欲しいと言っていた。  さっそく携帯を取りだして電話をしてみる。清香に電話をかけるのは初めてだった。数回コールの後、清香の明るく伸びやかな声が耳元に響いた。 「え?あ、ウサギのぬいぐるみ?わ、助かったぁ。それじゃあ着払いで送ってもらって良い?」  屈託のない声。まったく、大竹の姉だなんて信じられない。 「そうだ、智くん。今度優唯とデートしてあげてくれないかな。あの子ったら、慎おじちゃん抜きでともお兄ちゃんとデートしたいんだって。生意気よねぇ。今からイケメン好きで、将来が心配。ふふふ」 「あはは、光栄です。じゃあウサギ、送っておきますね」  住所は慎ちゃんに聞いてね、と笑って、電話は切れた。  慎ちゃん……。大竹の下の名前が慎也だということを、設楽は清香から知らされた。大竹にだって下の名前くらいあるだろう。準備室の入り口にも、プレートが貼ってある筈だ。  でも、設楽は大竹の名前を知らなかった。大竹先生は大竹先生だ。その方がしっくり来る。山中先生は山中先生。ユキなんて呼ぶのはおかしいと思っていたのと、同じ事だ。 「慎おじちゃんちゃんか……」  子供は苦手だと言いながら、大竹はとても優しい目で優唯ちゃんを見ている。子供が嫌いな訳じゃない。どう接して良いのか分からないのだろう。それは、生徒に対しても同じじゃないのか。  規則正しい寝息を立てている大竹の横顔に、「もう帰るね、慎ちゃん」と声を掛けると、大竹は小さく「ん…」と掠れた呻き声を漏らした。

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