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試験期間
翌日の火曜日は、大竹は研修日で休みだった。これで先生に顔を合わせずに済むと思うと何だか情けなかったが、水曜には朝一番に化学の授業が入っている。設楽はどんな顔で大竹の授業を受ければ良いのか分からずに、水曜の朝を迎えた。
なんで俺、あの時泣いちゃったりしたんだろう。なんであの時、泣いて逃げたりしちゃったんだろう。先生どう思っただろう。やべぇ、また泣き出しそうだ……。
バクバクと心臓が爆発しそうだったが、どんなに心臓が爆発しようと、化学の授業が水曜の1時間目である事に変わりはない。
設楽が席に座ると、後ろの席の清水が「顔色悪いけど、大丈夫?」と声を掛けてきた。
「あー、いや、テストのことでナーバスになってるのかも」
「設楽でも?お前、化学は得意なんだろ?」
「いや…、今回はやばそうだよ……」
学校中に鳴り響くチャイムの音が、腹の底に響いた。
いつものように、チャイムと同時にドアが開き、大竹が入ってくる。ちらりと目があった。だがいつもとは違い、設楽は思わず目を逸らしてしまった。大竹は気づかなかったのか、いつも通りのぞんざいな態度で出席を取り始めた。設楽の名前を呼ぶ時も、一切声色は変わらない。それなのに設楽は、ドキドキして顔が上げられなかった。
先生、どう思っただろう。変に思わなかったかな……。
「試験範囲はもうメモったか?」
出席を取り終わるとぶっきらぼうに確認し、「質問があったら今のうちに言ってくれ」と教室を見回す。
やはり、設楽は顔を上げられなかった。
「センセー、試験の問題教えてよー」
「今までそれ言った奴で平均行った奴いねーわ。青木、1週間後が楽しみだなぁ」
大竹が底意地の悪い顔で言い放つと、クラス中が蜂の巣をつついたように騒ぎ出した。
「うっせーよ、大竹ぇ!」
「お願い、先生!易しい問題作って~!!」
「今更言っても遅ぇよ。テストはもう刷り終わりました。じゃ、質問無いならこないだの実験レポート返すぞ。班ごとに返すから、班長が取りに来い」
まだぶーぶー言っている生徒を無視して、大竹はさっさとレポートを捌きだした。
「1班から取りに来いよ」
「は~い」
化学の授業の為だけに組まれた班の班長達がかったるそうに席を立つが、そもそも藤光学園は進学校なのだから、その態度の半分はポーズだ。大竹の授業はかなり厳しいし、テストも相当エグいが、理数系志望の生徒からはこの位でないと物足りないと、授業内容は密かに支持されている。
だいたい、大竹の「意地悪」は化学が不得意な生徒には強烈に効くが、真面目に勉強をしている生徒には大して効かないのだ。設楽のようにその意地悪を「可愛いよね」と言うのも極端な話しだが、やる気のある生徒には自習用のプリントを配り、時間外に採点をして個別指導をするなど意外と面倒見の良い大竹は、「性格は最悪だけど、頼りにはなる」と正しく評価されている。みんな、その位には大人なのだ。
まぁ最も、それを口に出すと友達の間で波風が立つので、平穏な高校生活のために、誰もそれを口に出すことはないのだが。
班長と呼ばれ、設楽も重い腰を上げた。
3班の班長は設楽だ。ぎこちない足取りで教卓まで近寄っていくと、大竹は無造作にレポートの束を設楽に渡し……かけて、そのまま手を止めた。
「設楽」
「は…はいっ」
思わず声がひっくり返る。
「お前、顔色悪いな。どうした?」
大竹は顔の表情はそのままに、だが瞳にだけ2人の時に見せる優しさを滲ませて、設楽の目をじっと見てきた。
その目を見たら、この2日間悩んでいたことなどただの杞憂だったのだと分かった。
今まで通りの顔。
優しくて……でも設楽をまるで意識していない、残酷な顔。
「あ、いや…」
すぐには返事が出来なかった。設楽が口ごもると、替わりに清水が口を開いた。
「先生の問題が難しすぎて、設楽夜も眠れないんだって。先生、生徒苛めちゃダメでしょ~」
「はっ。簡単な問題ばっかじゃお前ら真面目に勉強しないだろうが」
「先生、授業中に生徒に向かって『はっ』はないでしょ、『はっ』は」
文句を言う清水に、大竹はニヤリと笑ってみせる。
その顔に、設楽は言いようのないむかつきを覚えた。
どうしよう。なんでこんな気持ちになったりするんだ。
先生、清水なんか見るなよ。俺以外の奴に、先生が笑ってみせるなんて厭だ……!
「先生!レポート!」
設楽がぶっきらぼうに手を出すと、大竹がばさりとその手にレポートを乗せた。
「試験前に体調整えとけよ」
「了解です」
レポートを受け取る瞬間、大竹の指が設楽の指に触れた。
その指の感触だけで、触れられた指先がじんじんと熱くなった。
……大竹先生……!!
不意に、山中の声が聞こえた気がした。
『設楽は、俺の為になら、俺の事を簡単に手放す事が出来た。でも、大竹先生は違うんだろう……?』
山中先生、先生の言うとおりだった。俺は、先生の事は手放せても、大竹先生は手放せない……。大竹先生の傍から消えることは、俺にはもう出来そうもないよ。
だったら。
傍にいられなくなることを考えれば、この心を隠す事なんて簡単なはずだ。
もう、不用意に泣いたりなんか、絶対にしない……。
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