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清香さんー2
大竹の冷蔵庫の中は、いつも何かしら食材が残っていて、大竹が普段から料理をしているらしいのが見て取れた。時々貰い物らしい豪華レトルトが入っていることもあるが、普段冷蔵庫に残っているのはあまりこジャレたものではない。厚揚げの半身とか、野沢菜の食べ残しとか、いかにも豪快に切って盛りました的な感じが、大竹らしくて微笑ましかった。
野沢菜をチャーハンにして、厚揚げを炙って生姜醤油をかけ、新たに買ってきた食材で2、3品作ると、大竹は「さすが俺の嫁」と口笛を吹いた。
「そーゆー気もないくせに、その気にさせるのやめて下さい」
「その気になんかならねーくせに」
なるよ。なるからやめろよ。しつこいんだよ。つーか俺は今猛烈にあんたを嫁にしたいよ。
設楽が何を考えているかなんて気づくはずもなく、大竹は平和そうな顔で冷蔵庫からビールを運んできた。
「取り敢えず今日はビール1缶ずつな。飲むだろ?」
「飲む。っていうか、気にしないで先生は酒飲んでよ」
「いや、あんまり飲むとせっかくの飯の味分かんなくなるから、ほんと良いや」
「あー、俺今日作りすぎた?」
「いや、1人だと栄養偏るから助かるよ」
大竹は旨そうにチャーハンを口に運びながら、ビールに口を付けた。
暫くうまいうまいと夕飯を食べていたが、そのうち残りのおかずが少なくなった頃、大竹の手は設楽が出しておいたスコッチウィスキーに伸びていた。さすがにそれを設楽に勧めることはなかったが、良い顔色でちびちびやっている。
「……先生、清香さんって、綺麗な人だよね」
酒を飲むと口が回り出す大竹に、設楽は水を向けてみた。大竹がどの位清香を好きなのか、どうしても気になってしまうのだ。
「そうかー?姉弟 だからよく分かんねぇな。でもまぁ、お前みたいな若い奴にそんなこと言われたら、姉貴喜ぶよ。ありがとうな」
そんなことを言いながら、口元には嬉しそうな笑みを作っている。
「清香さん、優唯ちゃんを預けに来る日って何してるの?」
「あぁ、姉貴はバリスタのインストラクター持っててさ。ラテアートの講習会とかイベントによく呼ばれるんだ」
「ラテアート?」
「カフェラテとかカプチーノとかの上に絵を描く奴。今結構人気らしいな」
「お姉さん美人だから、イベント受けするだろうね」
「ははは」
大竹は口先だけで笑ってから、不意に表情を暗くした。
「……やっぱりなぁ、本当はそういう仕事じゃなくて、またデパートの企画や展示の仕事したいんだろうけど、難しいんだろうなぁ……」
「え?清香さんってそう言う仕事だったの?てっきりフロア販売とかエレガとかしてたのかと思ってた」
「いや、ああ見えて、バリバリキャリアだったんだよ」
大竹の言葉の端々に、清香に対する能力を惜しむ色が見て取れる。それはそうだろう。自分のやりたかった仕事に打ち込んでいた姉が、あんな顔をして娘を預けに来るのは、大竹としても辛いはずだ。
「だからあんな男と結婚するのは反対だったんだよ。あいつに引っかかんなきゃ、ずっと企画の仕事続けられたんだろうに」
優唯は可愛いから俺達が面倒見るのは構わないんだけど、と大竹は苦く呟いた。多分、金銭的な面倒も見ているのだろう。それは弟なら当然のことなのか、好きな女性だからなのか、設楽には分からない。
「とにかく、早く幸せになってくれないことにはなぁ……」
大竹の台詞に、設楽の胸が痛んだ。
清香の境遇に対してではない。
そんな辛そうに溜息を吐く、大竹に対して胸が痛むのだ。
「大丈夫だよ。清香さんには先生だっているし」
「馬鹿か。弟がいたってしょうがねぇだろ」
大竹が眉を顰めてラグの上に体を横たえる。長い手足がまっすぐに伸びていて、思わず触ってしまいたくなった。
「あ~あ、何でこう巧くいかねーのかな……」
その大竹の顔が切なくて、設楽は「皿洗ってくる」と席を立った。
「良いよ、設楽。後でやるから」
「酔っぱらってるじゃん。寝てなよ。あ、風呂溜めとくから、酔いが醒めたら入ってよ」
食器をまとめてキッチンに向かう設楽の背中に、「何か、ホントに嫁みたいだなー」と声がかかった。
「お袋の間違いじゃないの?そういう男はもてないよ」
わざと憎まれ口を叩くと、大竹は小さく笑って「違いない」と寝返りを打った。
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