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大竹先生の匂い

 俺、何やってるんだろう……。  つい泣き言を言いたくなって、慌てて首を振る。大竹が清香を好きなのは、もうしょうがないのだ。それが分かっていて、自分は大竹を諦められずにいるのだから、泣き言を言ってはダメだ。  それは分かっているのに、どうして自分の心一つ上手に扱えないのだろう……。  大竹だって辛くて苦しいのだ。我慢できず、結晶を作ってしまうくらい。  そんな先生が気楽に過ごせるように、清香のことを考えずに済むように、自分が大竹の気を紛らわせるような存在になりたいのに。 「……もうさ。もう、大竹先生の腕の血管とか、上腕二頭筋とかさ、そういうのだけ見てりゃ良いんだよな。結晶とか見ないでさ。まぁ、白衣着てるから上腕二頭筋なんて見えないんだけどさ」  自分の部屋で試験勉強をしながら、バカみたいに大竹のことばかり考えていた。  自分は何でこう男のくせに恋愛体質なのか。山中の時は山中のことしか考えられなかったし、今はひたすら大竹のことばかり。しかも始末の悪いことに、山中の時と違って体の関係がないせいか、大竹のことを考えると、つい自分の欲求解消に大竹を使ってしまうのだ。  想像の中の大竹は、酒を飲んで無防備に寝ているばかりで、具体的なことはいまいち浮かんでこない。  ただ寝ぼけたときに漏らす「ん…」という低い掠れ声と、投げ出された手足と、あどけなく緩んだ目元をひたすら思い出す。何度も何度も頭の中で、眠る大竹を再生し、ただその姿だけで自分は極めることができてしまうのだ。 「……ふっ、先生…、大竹先生……っ」  机の上に化学のノートとプリントを広げて、大竹の寝顔で達くとか……。 「本当に俺……何やってるだろう……」  手についた粘液を見つめ、設楽は溜息をついた。  大竹は自分のことをそういう対象として見てくれないのだ。傍に置いてくれて、設楽を大きな手で包み込み、こんなに心配してくれている。なのにあんな無防備な姿を平気で晒せるのは、全く設楽を意識していない証拠だ。  大竹は誰よりも優しいけれど、誰よりも残酷だ。  だったらちょっと位オカズにしてもバチは当たらないのではないかと、誰が傍にいるわけでもないのに、必死に自分に言い訳をする。 「ちくしょ…、本当に俺、何やってるんだろう……」  大竹に貰ったプリントに顔を埋めると、薬品の匂いがした。化学室の匂い。いや、これは……  ……大竹先生の匂いだ……。  その匂いに泣きたくなって、設楽はプリントにいつまでも顔を埋めていた。

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