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第5話

 その日の夜、二頭の馬が(くつわ)を並べて湖の(おおり)を歩いていた。  カイルとラウルがそれぞれの手綱をとり、ふたりとも猟銃を背中にくくりつけている。  カイルはぬかるみをよけるふうを装って、ラウルをちらりと見た。唇を舐めて湿らせると、昨日来、彼に告げそびれたっきりの言葉を頭の中でおさらいした。    ──たったひとりで凶暴な狼を仕留めて、すごい。ラウルは自慢の兄貴分だ……。    ところが、いざ話しかけようとしても、ラウルと目が合ったとたん、へどもどするありさまだ。  隣同士の家に生まれ、カイルとモニの両親が数年前に相次いで亡くなったあとは、ラウルの一家が何くれとなく世話を焼いてくれた。兄弟同然に育った仲だというのに、 「腹がへったな。そろそろひと休みするか」  今夜に限って変に気後れがして、うなずき返すのが精一杯だ。  縹緲(ひょうびょう)たる草原のあちらこちらで羊が寄り集まって微睡み、こんもりとしたシルエットが月明りに映し出される。村人が共同で飼育する羊は大切な財産であり、羊毛やチーズは貴重な収入源だ。  春から秋にかけては放し飼いにしていて、丸々と太る。ただし、往々にして狼が夜襲をかけてくる。牧羊犬が番をしているが、それだけでは心許ない。  ゆえに男たちが交替で見張りに立つ。  カイルは前に出て、せせらぎを渡った。同じ幼なじみのひとりでも、ラウルの金魚のフン呼ばわりして、カイルを小馬鹿にする男と組んで見回りに出る夜は最悪だ。  モニと瓜二つならここもそうか、などと股間にさわってこられたときは虫唾が走り、取っ組み合いの喧嘩になった。  その点、ラウルはカイルを一人前に扱ってくれる。迷子になった羊を捜しにいくときも、ラウルと一緒なら安心だ。  だからラウルとともに当番を務める夜を心待ちにしていた。  ただ、浮き浮きしていることに気づかれたくないばかりに、かえって態度がぎこちなくなるのが我ながら不思議だ。  土がむき出しになるあたりまで馬を進め、それから放牧地をひと回りする。水脈の関係で、村を中心に半径数キロあまりの圏内の土地は肥沃だ。  その、ぐるりから先はひねこびた枝ぶりの低木がぽつぽつ生えている程度の砂漠で、天然の城塞のようだ。  砂漠を越えてやってくる東の民。山岳地帯を越えてやってくる西の民。  数世紀前までは村は交易の拠点だった。現在(いま)は時代に取り残されて、あたかも〝陸の孤島〟だ。  異常がないことを確認したあとで、湖畔に戻って馬を立ち木につないだ。水面(みなも)は満天の星を映し、さざ波が立つたびに星明かりが揺ららいで、夢の通い路をたどる小舟がたゆたっているように見えた。  夏とはいえ内陸部の夜は冷える。焚き火を挟んで向かい合った。  カイルは羊の乳で茶葉を煮出す。ラウルはチーズを炙る。これをしろ、あれをやってと、わざわざ言う必要はない。ふたりには二十年におよぶつき合いで培われた歴史がある。  村も羊も寝静まり、狼たちもボスの喪に服しているのかもしれない。  穏やかに夜は更けていき、ラウルは腹ごしらえがすむと紫煙をくゆらした。焚火の煙とじゃれ合いながら棚引き、心地よい沈黙が落ちた。  視線がからむと、なぜだか目縁(まぶち)が赤らむ。カイルはポケットからハモニカを取り出した。  掌にすっぽりと収まるそれは、若草が萌えいずるころに出稼ぎから帰ってきたラウルがくれたものだ。ちなみにモニへの土産は奮発したことが一目瞭然の、銀細工の髪飾りだった。  ともあれ、このハモニカをもらったさいには秘密を知られてしまったようで、素直にありがとうと言えなかった。  いつからかカイルの胸には小鳥が一羽、棲みついた。  架空の存在にすぎないが、その小鳥はラウルがそばに来ると朗らかにさえずる。ラウルが娘たちの誰かと……特にモニとふたりっきりでしゃべっているところを見かけると、羽をたたむ。

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