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第8話

 と、ラウルがすっくと立ちあがった。そして草原をかき抱くように腕を広げた。 「俺の羊は、いま二百頭。今年の冬も出稼ぎにいって、金を貯めて五十頭買い足す。贅沢はさせてやれないが、家族を養える」    咳払いをしてひと呼吸おくと、真摯な口調で言葉を継ぐ。 「占いで吉日と出た日にモニに求婚する。賛成してくれるな」  求婚、と鸚鵡返しに繰り返したせつな、胸の小鳥が撃ち落とされる場面が脳裡をよぎった。カイルは反射的にしゃがむと、脱ぎ散らかされたっきりの靴下をたたんだ。  遅かれ早かれラウルとモニは結婚していただろうし、反対する理由などない。働き者で腕っ節も強くて、おまけに快活なラウルに嫁げばモニは世界一幸せな花嫁になるだろう。  カイル自身、実の兄のように慕ってきたラウルを「義兄(にい)さん」と呼ぶにやぶさかでない……はずだ。願ってもない話なのに手放しで喜べないのは、なぜなんだろう。 「黙り込んで、どうした。甲斐性なしに大切な姉さんはやらない、羊を千頭つれて出直してこいって言うのか」  羊の絵が次から次へと、泣きまねを交えて空中に描かれた。おどけた仕種とは裏腹に表情は真剣そのものだ。  カイルは皮袋の上から狼の牙を握りしめた。鼓動が、うるさい。笑え、と自分に命じて笑顔をこしらえた。 「モニを安心して任せられるのはラウルしかいない。うれしい、じゃじゃ馬だけど姉さんを頼む」  他に何が言えるだろう。涙がにじむのは、生木が(いぶ)って煙が目にしみるせいだ。 「でっかい家を建てて、子どもは最低でも三人はほしいな……って、気が早いか」  ラウルが照れくさげに頭を搔けば、金輪際、相槌を打ってやるものかと口を引き結ぶ。  心の中に(うろ)が生じたところに、哀しみという花弁が降り積もっていくようだった。

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