9 / 86

第9話

    第2章 発芽  九月に入って暑さがやわらいだ。家の裏手に金網を張り巡らせた鳥小屋にしても、朝方はひんやりする。  カイルはむき出しの腕をこすると、産み落とされて間もない卵を(ざる)に集めた。  水と敷き藁を取り替えて、ひと摑みのヒエを地面に撒くと、十数羽の鶏が先を争ってついばみはじめる。羽毛が散って、くしゃみが出た。  鶏は羊と同様、家族の一員であるとともに食料だ。押し合いへし合いをするなかから、肉垂れがめっきり色あせたメンドリを抱きあげた。 「おまえは週に一個、卵を産めばいいほうだなあ……」  年老いたメンドリを飼いつづける余裕はない。可哀想だが、そろそろつぶす頃合いだ。  メンドリを下ろして胸元をまさぐった。モニが寝静まるのを見定めてから狼の牙を取り出し、悩むこと数日。  金具をつけてペンダントに加工した牙は、なかなかの出来栄えだ。ハモニカにつづいて宝物が増えて、なんて豪勢なんだろう。  牙に息を吹きかけて磨く。ものの見事に狼を(ほふ)りおおせたさいの雄姿は鮮烈に心に刻みつけられて、思い出すたびにうっとりしてしまう。  しかしラウルがモニと新居を構えれば、どうしても遠慮が生まれて、つき合い方が変わる恐れがある。そう思うと瞳がかげる。  オンドリがけたたましく鳴き、飛びあがった。悪戯をしているところを見つかった気分で、ペンダントをシャツの内側にすべり込ませる。わざと欠伸をしながら木戸を跨ぐと、笊を片手に家の表に回った。    交易地だった時代の遺産のように、ひび割れた石畳が広場を中心に放射状に延びる。その道に面して日干し煉瓦(れんが)でできた家が百あまり建ち並ぶ。どの家もこぢんまりとしていて、たいがい一歩中に入ったところが台所だ。  卵をおがくずに埋めておけば、しばらく鮮度が保たれる。(かまど)にかけてある鍋を覗くと、羊の肉と豆がふくふくと煮えていた。  給水塔が完成して各戸に水道がひかれて以来、炊事と洗濯が格段に楽になった。風呂場だって増築した。  文化生活だ、とカイルは思う。だがモニ曰く、こうだ。 「水洗トイレもないなんて原始時代みたい」  台所の奥の部屋は、衝立でふたつに仕切っている。向かって右側、いわばカイルの陣地はベッドと小さな箪笥を置いてあるきりだ。  対してモニの陣地は一年がかりで織りあげたタペストリーで壁を飾り、綺麗なガラス瓶を並べている、というぐあいに華やかだ。  そのモニは、鋏と鏡を前に難しい顔をしていた。 「鶏小屋の掃除はモニの番なのに、サボって鏡とにらめっこか。ずるけるのもいいかげんにしろよ」  鏡を介してモニを睨む。二卵性の双子で、おまけに性別も違うのに、なだらかな弧を描く眉もアーモンド形の双眸もそっくりで、鏡を通して鏡を見るようだ。 「ねえ、短い髪は似合わないかしら。顎の線で切りそろえて内巻きにする髪型が都会で流行っているんだって。ほら、宿命のソナタでリリナ役の女優がしているようなの」 〝宿命のソナタ〟とは、連続ドラマの題名だ。村に一応、電気はきているが、しょっちゅう停電する。明かりは現代(いま)でもランプに頼っていて、テレビがある家はほんの数軒だ。  しかも映るのは国営放送のみ。それでも国技の中継があるときは集会所のテレビに男たちがかぶりつきになる。ドラマが放映される時間帯は女たちが殺到する。  僻地のことゆえ、テレビを受信できるようになったことじたい村史に残る出来事だ。  もっとも、それも善し悪しで、モニはテレビを介して垣間見る都会の暮らしに狂信的なまでに憧れをつのらせている。

ともだちにシェアしよう!