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第11話

「二言目には『都会はこうなの』じゃ、ラウルが苦労する……」  やっぱり少し髪を切ってやればよかった。そう思いながらポンプを押す。  ほとんどの村人は広場に詰めかけて、毛づくろいに励む猫が井戸のそばにいるきりだ。店を開く合図にクラクションが鳴り渡ると、ざわめきが大きくなった。  ともあれ水がめを満たし終えると、今度は牧草を刈り取りにいった。  秋は短い。冬に備えてやることが、どっさりある。特に干し草の貯蔵量が足りなくて冬の間に羊が飢え死にすることがあれば、それこそ死活問題だ。  リヤカー一台分ほども刈り集めたところで、ひと息入れた。(なつめ)の実を練りこんだパンをかじりながら草原を見渡し、今さらめいて首をかしげた。  稀有なことに、今日はまだ一度もラウルを見かけていない。ふだんは羊の世話をしているか、畑仕事にいそしんでいるか、とにかく汗水垂らして働いているころなのに。  広場に買い物にいってモニにつかまっているのかもしれない。たぶんそうだ、と胸の小鳥をなだめて、また鎌をふるいはじめた。  小高い丘を登るかたわら、羊の糞を集めて回る。これは、乾燥させるといい燃料になる。  せっせと躰を動かす間も、幾度となく草原を見晴るかしてラウルの姿を捜した。しかし目が合うのは羊ばかり。おかしいな、変だな、と思いつづけているうちに日が暮れてきた。  牧草を軒先に積みあげるのももどかしく、隣の家に駆け込む。  ラウルの父親は、今は外国に働きにいっている。だから祖母と母親と、それから年の離れた弟妹との五人暮らしだ。戸口と台所がひとつづき、という造りは同じだが、こちらの家は別にふた間ある。  それでも俊足のラウルなら、日ごろは奥の部屋にいてもすぐに出てくるのに、今日は伝い歩きをしながら台所にやってきた。おまけに窮屈な靴を履いているようにつまずきがちで、椅子を巻き添えに転びかけるありさまだ。  カイルは目を疑った。馬の背中で逆立ちをしてのけるラウルが、なんでもないところでよろけるなんて珍事だ。 「らしくない、捻挫でもしたの」 「気にするな、なんでもないさ」  などと豪快に笑い飛ばすはしから、ラウルは崩れ落ちるように椅子に腰かけた。   カイルはその足下にひざまずくと、無理やり靴下を脱がせた。そして息を呑んだ。  先日の「ほっとけば治る」できものは、悪化していた。両足のすべての指が黒っぽい殻に包まれたような状態にあり、のみならず足の甲にも異変が生じはじめている。  うろこ状にひび割れた皮膚は茶色みを帯び、松毬(まつかさ)髣髴(ほうふつ)とさせた。足の裏は凹凸(おうとつ)がほとんど失せてしまい、足の形に沿ってゴムを切り抜いた代物(しろもの)のようだ。  足を引っ込めようとするラウルを目つきで制しておいて、なおも目を凝らす。  搔けば搔くほど痒みが強まるジンマシンと同様、患部(と言ってもいいだろう)をむやみに刺激するのは避けたほうが賢明だ、と自制した。すべらかな皮膚と、ざらざらする皮膚の境目をひと撫でしたあとで、小声で問いかけた。 「このあいだは痒くないって言ってたよね。今は痒かったり痛かったりする?」 「べつに、なんとも……伝染(うつ)るできものなら大ごとだ。さわるな」 「行商人のトラックに乗せてもらって大きな病院に行こう。待ってて、話をつけてくる」    そう言い置くなり腰をあげたものの、腕を摑まれてつんのめった。ラウルは唇の前に人差し指を立てて、奥の部屋に顎をしゃくる。心臓に持病がある祖母は()せりがちで、悪い話が耳に入るのを恐れたふうだった。 「来週の頭に移動病院が来る。ばあちゃんを診てもらうついでに俺も診てもらう。いいか、おふくろとモニには内証にしとけ」    狼を仕留めたときのような威圧感でもって、念を押してくる。カイルはつられてうなずきつつも、すばやく靴下で隠された足に視線をそそいで、いちだんと眉を寄せた。  来週だなんて悠長なことを言っている間に、もっと悪化したら取り返しがつかない。このさい引きずってでも病院につれていくべきだ。

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