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第14話

「ラウル、あなたが病院の車に入ったきり出てこないって噂になってる。どこが悪いの、なぜ教えてくれなかったの」 「どうってことない、心配するな。けど」  わざと下唇を突き出してみせながら、医師に顎をしゃくった。 「大きな病院で検査のやり直し、だとさ」 「行かないとごねて、お医者さまを困らせていたんでしょう? いいわ、あたしがお目付け役でついていってあげる」  それで話はまとまった。大車輪で診療を終えた医師団は翌早朝、遠く遠く離れた省都をめざして出発した。  カイルは馬に跨り、草原の外れに位置する岩山のてっぺんから一行を見送った。  ハモニカを吹き、ラウルの愛唱歌で別れを惜しむ。哀愁を帯びた旋律は、彼の耳に届くどころか、あっという間に風に吹きさらわれた。  朝焼けが毒々しく空を染める。凶兆、と呟いた瞬間、心臓に錐を突き立てられたように胸が痛み、鞍からすべり落ちそうになった。  家族と羊をおまえに託す、と言い残してラウルはジープの後部座席におさまった。  ちょっと見には健康そのものだった。自動車に乗るのは初めてとあって、しゃちほこばるモニをからかう余裕さえあった。ある意味、新婚旅行にいくように楽しげだった。  ハモニカを再び唇に当て、すぐに下ろした。病が癒えてラウルが村に戻ってくるのは、いつになる? 医者がその場で病名を特定できないようでは、入院生活は長期に亘るかもしれない。  その長期が数年単位に及んだあげく、ラウルが省都に居を定めることがあれば、(えにし)の糸は切れてしまうかもしれない。確信めいた予感に、全身の血が凍りつくようだ。  近代化の波から草原を守るように、岩山の(ふもと)から先には不毛の大地が広がる。道なき道をいく車列は荒涼とした風景の中の点描にすぎず、ときおりテールランプが明滅するさまは、別離の涙を流しているようだ。  ラウルが、どんどん遠ざかっていく。恋しい、哀しい、と胸の小鳥が鳴き、狂おしく髪を振り乱した。  留守を任された身で約束を破れば、逆鱗に触れるのは必至。それでも後を追わなければ一生、後悔する。一の弟分という座から転げ落ちても、ラウルと会えなくなるよりマシだ。  カイルはいちど草原の方向を振り返ると、(まなじり)を決して正面に向き直った。胸元で揺れる鎖をたぐり寄せて狼の牙にかじりつく。  おびえる馬に鞭をくれて、ごつごつした斜面を駆け下りる。  方位磁石は持っていないが、昼は太陽、夜は北極星で方角がわかる。水筒と羊の燻製(くんせい)もある。砂漠を横断するくらい、朝飯前だ。  地面にへばりついているような低木をまとめて飛び越え、なおも鞭をふるう。ひづめが小石を跳ね飛ばすたびに振動で舌を嚙みそうになっても、ガムシャラに先を急ぐ。ポンチョがはためき、耳許で風が唸る。  もっと速く、もっと速く!   鞍から腰を浮かせて上体を前に倒し、ずんぐりした腹を膝で挟みつける。  絶対にラウルに追いついてみせる。しかし駆けに駆けても、ジープとの距離はむしろ広がる一方だ。  かつて経験したことのない早駆けに躰が前後左右に揺さぶられて、今にも振り落とされてしまいそうだ。たてがみに瞼を打ち叩かれて目をあけていられない。  もともとこの馬は羊に交じってのんびりと暮らしてきたうえに、老いぼれだ。口の端にあぶくが溜まり、ともすればよろけがちになる。  そこに続けざまに鞭をふるわれたのだから、怒るのも無理はない。手荒な扱いに抗議するように棹立ちになった。  手綱を握りそこねて宙を舞った。反射的に躰を丸め、両手で頭をかばったものの、地面に叩きつけられて激痛が全身を貫く。  天と地がひっくり返り、ごろごろと転がっていく間に、小石がいくつも肌にめり込んだ。野ざらしになっている動物のしゃれこうべを粉々に砕きながら、ようやく止まった。  鼻の穴も口の中も砂でじゃりじゃりする。

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