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第15話

「ラウル、ラウルゥーッ!」  四つん這いに躰を起こすのももどかしく、駆けだした。ズボンが裂けて、ヤスリをかけたように膝が派手にすりむけているが、かまっちゃいられない。  ごめんなさい、そして、がんばって。馬はそう告げたげに、ひと声いなないた。来た道をゆっくりと折り返しはじめた。  ジープはすでにマッチ箱並みに小さくなって、土煙にまぎれるようだ。あれを見失う前に急げ、急げ。  ラウルが、大好きな幼なじみが遙か彼方に行ってしまう前に追いつくんだ。  足がもつれて、すっ転んだ。尖った小石が掌に刺さったものの、抜き取る暇さえ惜しんでひょこひょこと走りだす。  たとえ足がもげても、あきらめるものか。幸いなことに行き先はわかっているし、(わだち)という道しるべがある。三日も走れば、必ず省都にたどり着く。  こけつ(まろ)びつしながら、それでもひたすら追ってくるさまが、ジープのバックミラーにちらちらと映っていたのだろう。それでラウルかモニが、同乗する医師に頼んでくれたに違いない。  ジープが引き返してきた。カイルは息も絶え絶えに走り寄っていくと、ブレーキがかけられるか、かけられないかのうちにドアに取りついた。  汗と(はなみず)で汚れた顔に土埃がこびりついて、まだら模様を描く。痣だらけで全身が軋み、肺が焼けただれるようだ。  ドアの開け方がわからなくて地団太を踏むようで、声にならない声を振りしぼった。 「おれも行く、つれてって……!」   医師と、運転手を兼ねる看護師が困惑顔を見合わせた。心情的には願いを叶えてやりたいが、付き添いはひとりで十分だ。  しかし砂漠の真ん中に置き去りにするのは人倫に(もと)る、というふうに。  内側からドアが開き、下がっていろ、とラウルが手を振った。ひと月前の彼なら、ひらりと地面に降り立っていた場面だ。  ところが現在(いま)は手順を踏む必要がある。まずシートの端まで腰をずらし、それから下半身をひねると、片足ずつ持ちあげて地面に下ろす。ドアにすがり、踏んばりぐあいを確かめるように徐々に立ちあがると、数十秒がかりで()を運んだ。  あわててラウルに手を差し伸べたものの、荒々しく振り払われた。カイルは唇を嚙みしめて、うなだれた。  ラウルは嘘つきを嫌う、冷淡にあしらわれても自業自得だ。それにしても人一倍、運動神経が発達しているラウルが歩くのにも苦労するとは、どこで運命の歯車が狂ったのだろう。 「おまえが留守番を引き受けてくれて安心していたんだが、あれは空約束だったのか」 「軽蔑してくれていい。だけど、お願いだから、なんでもするから、つれてって」  這いつくばって切々と訴えた。許しを請うためとあれば、土くれですら喜んで食べただろう。  医師が腰を伸ばしがてらジープから降りた。看護師もそれに倣って、大きく伸びをした。 モニは、といえば三つ編みをほどいて結いなおす。目的地はともかく、あこがれの都会に行く途中で邪魔が入った。そんな不満が手つきに表れて、三つ編みがゆがむ。  カイルは、いっそう縮こまった。怒りを買う覚悟はできていたとはいえ、呆れたやつだ、と詰るふうなため息が鼓膜を震わせると、ますますラウルに合わせる顔がない。元からの汗と、冷や汗がない交ぜにしたたり落ちて地面をうがつ。  ジープに故障発生か。そうと案じたのか、先行するマイクロバスとキャンピングカーが停まった。ジープの無線機がガアガアと鳴り、それにかぶさって頭上で舌打ちが響いた。  カイルは心底すくみあがり、 「羊飼い仲間はひとつの家族だ。俺の羊も、おまえの羊も誰かがまとめて面倒を見てくれるだろうさ」  苦笑交じりにそう言われて、弾かれたように顔をあげた。 「精密検査とやらが終わりしだい、おまえは村に帰って務めを果たせ。いいな」  右手の小指が差し出された。振り仰ぐ(おもて)は逆光に沈み、世にも恐ろしい表情を浮かべているように感じられる。半端に上体を起こしたまま固まっていると、小指が鼻先に迫ってきた。  カイルは生唾を呑み込んだ。そして、唇を舐めて湿らせた。 「我がままを聞いてくれるん……だ」 「おまえの性格じゃ、帰れと言っても素直に聞きっこないだろうが」  ()め下ろされて、おずおずと小指をからめていくと、頭をぽんと叩かれた。  医師があきらめ顔で、且つ腕時計を示して車に乗るようふたりを急かす。  朝焼けが薄れるにしたがって空は青みを増していくものだが、かえって翳りゆくようだ。  妙に生臭い風が石ころをもてあそぶさまが、なんとはなしに目に焼きついた。カイルは、鳥肌が立った二の腕をこすった。

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