16 / 86

第16話

    第3章 子葉  二十階建のビルが草原の真ん中にそびえていたら、蜃気楼だと思うだろう。カイルは、天空に張り出しているように思える窓を繰り返し見やり、そのたびに頬をつねった。  村と、その周囲十数キロが全世界だった。ところが事態は思いもよらない展開を見せて、首都に来ている。  ここは東アジアで一、二の規模を誇る国立病院の一室だ。扉にはめ込まれた金属板には〝面談室〟とあり、豪華な客船や、木箱が次々と運び込まれていく貨物船が停泊中の港に面している。  一生、縁のない場所だったはずで、好奇心を刺激されるより先にまごついてしまう。  毛足の短い絨毯は、ひよこ色。風景画が壁に飾られて、応接セットは丸みを帯びたものというぐあいに、この部屋を訪れた患者およびその家族の気持ちが安らぐような工夫がなされている。  だが、カイルは落ち着かない。村では椅子は木製で堅いものと相場が決まっていたのに、ソファという代物(しろもの)はやけに尻が沈む。狼の牙とハモニカを交互にまさぐって不安をまぎらす。  海は湖の何万倍も大きくて、塩辛くて、世界の国々とつながっている。そのくらいの知識はあったが、雄大な景色を目の当たりにすれば圧倒される。  室内に視線を戻し、肘かけを握りしめた。ラウルをさしおいて一丁前に不安に苛まれるとは、ちゃんちゃらおかしい。    東の端から西の端に向けて広大な国土を横断する、という長旅のすえに首都に到着して今日で一週間になる。列車と飛行機を乗り継いでさえ二日がかりのそれは、宇宙旅行に匹敵する大移動で、驚きの連続だった。  たとえばカイルは生まれて初めてエレベータに乗り、箱が上昇しはじめたとたん鳩尾のあたりがむずむずして、しゃがんでしまった。  モニは駅の構内といわず飛行場といわず、売店に商品があふれ返るさまに、歓声をあげどおしだった。  おかげで、たびたび言い争う羽目になった。そもそも観光に来たわけではない。  カイルはモニが売店にふらふらと入っていくたびに力ずくでつれ戻し、ケチ、と詰られて、ふてくされた。  そしてラウルは。家族へのお土産を買いそろえて、あしたには村に帰る、と言い暮らす。  ともあれ情報の洪水という毎日に、カイルの頭の中は飽和状態だ。村を離れて半月足らずにもかかわらず、のどかな生活が恋しくてたまらない。  羊たちは元気でいるだろうか? 鶏は? あとは収穫を待つばかりだった畑の作物は?   とりわけ恋しいものは、ラウルと見張りに立つ夜だ。  十月になると朝晩はめっきり冷え込む草原とは、気候もまるで異なる。第一、羊の数より人間のほうが多いことじたい信じられない光景だ。数千万もの人間が首都にひしめいている? 冗談だろう? 「時間、かかるね」  モニが手ぐしで髪を()かしながら、ぽつりと呟いた。ソファに並んで腰かけ、互いが互いにもたれかかるようにして、ラウルが検査室から戻ってくるのを待っていた。  省都の大学病院の医師たちが、さまざまな医療機器を駆使してラウルの足を調べても、例の症状が皮膚病の一種なのかさえ判明しなかった。  それゆえ粒よりの名医に下駄を預ける形で、国立病院に移送する措置がとられたのだ。  転院して一から検査のやり直しだ。採血、採尿、脳波の測定にはじまり、骨髄穿刺。胃カメラを飲み、肛門から内視鏡を挿入され(たさいにはラウルが怒り狂ってひと騒動あった)、CTスキャンにレントゲン……等々。  果ては眼圧に虫歯の有無まで調べられた。ラウルという人間を構成する、すべてのものが数値化されていくようだった。  さらに詳細なデータを得るために、ラウルはMRIという機械でいわば輪切りにされている最中だ。  こういう装置だと説明を受けてもチンプンカンプンで、カイルは頓珍漢な質問を技師にぶつけて失笑を買った。

ともだちにシェアしよう!