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第18話

 ラウルが喉の奥で嗤い、サンダルを蹴り脱いだ。靴下を履いているが、もはや円筒形のものを押し込んであるといったほうが正しい。  松葉杖の先端で、かつて親指が単独で存在していた部分をつつきながら、挑みかかるように市村を見据えた。 「じゃあ、何か? 俺を土に植えときゃ根を張って、そのうち羊の串焼きより堆肥が美味いと感じるようになるのか?」 「駄目よ、ゲン直しのおまじないを唱えて」  モニが、悲鳴交じりに両手の人差し指を交叉させた。 「嘘だ、デマカセだ! ラウルは強くて優しくて羊の毛を刈るのも村で一番うまい。ラウルに限って変な病気にかかるわけない!」    胸の小鳥が狂ったように飛び回る。カイルは市村に躍りかかり、胸倉を摑むと、上背で勝る彼を前後左右に揺さぶった。 「ヤブ医者、撤回しろ、検査をやり直せ!」 「はなはだ遺憾だが、樹皮症と断定するに足る条件がそろっている以上、誤診ということはありえない。病魔は相手をえり好みしない。極端な話、この瞬間にもわたしやきみの体内で癌細胞が増殖しつつあるかもしれない」    カイルはぎりぎりと唇を嚙み、市村をなかば突きのけながら彼から離れた。 「薬を服むとか手術すれば治るんだろうな」  ラウルが目を輝かせて問いを発すると、市村を除く医師は全員、口ごもった。一様に顔を強ばらせる彼らにひきかえ、市村は眉一本動かさずにパソコンを操作する 「現時点では治療法は確立されるには至っていない。ここに樹皮症に罹患した、患者の協力による貴重な映像がある」    再生が始まった。それは、白人男性が恐るべき変貌を遂げていくさまを記録したものだ。  人体を十二のブロックに分けるとする。ラウルと同様、白人男性もまず爪先に兆候が現れた。そこをふりだしに脚部、腹部、胸部、頭部という順番で、全身が次第に樹皮状のものに覆われていく。  およそ一年後。蔦がすさまじい繁茂ぶりを見せて、ただの空き家を廃屋へと変えていくように、頭頂部まで樹皮の下に隠れた。白人男性の呼吸が停止したことが確認された場面で映像は終わった。  即ちラウルの未来像で、余命を宣告されたに等しい。  膝が、がくがくする。カイルはソファに崩れ落ちると、びっしょりと汗をかいているくせに氷のように冷たいラウルの手を握った。  ラウルは渾身の力で手を握り返してくると、しゃがれ声を振りしぼった。 「俺は、死ぬのか……生まれもつかない姿になって?」 「イエスでもありノーとも言える。人間としてはそうだが、生物学的な寿命は樹齢に相当する。通常の意味での死とは別物だ」    市村が淡々と答えた。にべもない返事にがっくりと肩が落ちたのもつかの間、黒曜石のような瞳に希望の()が灯った。 「要は維管束だかを取っちまえばいいんだろ。なら話は簡単だ、足をぶった切ってくれ」  カイルは鞭で打たれたように立ちあがった。モニが涙ぐみ、双子は蒼ざめた顔を見合わせながら首を横に振った。  仔羊さながら軽やかに、はたまた駿馬のごとく颯爽と。  溌溂と大地を駆け回るのがラウルで、その彼の足を切り落とす? それでは翼をもがれた鷹が地べたを這いずり回るも同然じゃないか。  カイルは掌に突き刺さるほど、ぎゅっと狼の牙を握りしめた。あまりにも残酷な二択だが、えり好みする余地がないのなら……。  もしも、と切り出すと全員の視線が集中した。口ごもり、それでも懸命に言葉を継ぐ。  「もしも……もしも足と引き換えに病気が治るなら、おれがラウルをおぶってどこにでもつれていく」    草原流の誓いの(しるし)に、心臓をくり貫く仕種で締めくくった。  そうだ、春は若草が萌える草原へ。夏の日盛りには湖畔へ。秋はジリスをつかまえる罠を仕かけに、冬は火のそばに。おれがラウルの足になって、大好きな幼なじみを生涯にわたって支えてみせる。   サミュエル・モローが血管の断面図に画像を切り替えたのを受けて、市村が補足する。 「両足を切断する案は検討ずみだ。しかし維管束の一部はこちらの大腿動脈に食い込み、現代の医学ではこれを切り離したのちに自己動静脈、あるいは人工血管に置き換えるのは不可能と断念せざるをえない」

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