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第21話

      第4章 茎  カイルは段ボールひと箱分のジャガイモの皮をむき終えると、強ばった手首を揉んだ。  爪の間が泥で真っ黒だ。病室に戻る前にきれいに洗っておかないと、働き者だな、とラウルに嫌みを言われてしまう。  そこは物干し場を兼ねた第二病棟の屋上だ。満艦飾の洗濯物がはためく中で、靴下に視線が吸い寄せられる。ラウルは、ひとりで靴下を履くことさえ困難になってきた。  段ボール箱を抱えて階段室に向かいしな、水平線を眺めやる。十一月に入って海の色が深みを増した。  都会はごみごみして、排気ガス臭くて、空は狭い。檻に閉じ込められているような息苦しさを覚えるが、たくさんの船が行き交う港の風景は草原では決してお目にかかれないもので、好きだ。  ひとつ下の階の厨房に入り、ジャガイモをすすぎはじめたとたん、 「何をちんたらしてたんだ」  ばしん、と料理長に頭を叩かれた。もごもごと口の中で謝って、流しに山と積まれた皿を洗う。洗剤が、あかぎれにしみた。  病院内の食堂に雇ってもらって、早朝から夕方までこき使われる毎日だ。いわゆる社員食堂という位置づけだが、製薬会社の営業マンや見舞い客にも開放されているために、昼時ともなれば戦場のように忙しい。  働き口を探している、と親しくなった看護師に洩らすと、どういうわけか市村が口を利いてくれた。  都会の暮らしは出費がかさみ、仕事にありつけただけありがたい。ただ下っ端の悲しさで、うすのろだの、グズだの、と事あるごとに罵声が飛んでくる。  カイルは、そのたび心の中で言い返す。    ──狼と一対一でやり合う度胸もないくせに威張りくさって……。    祭りの午後を思い起こすと、伝統の飾りつけがほどこされた村の光景が瞼の裏に、シータの音色が耳に甦る。  あの日のラウルは、まさしく英雄だった。並外れて大きな狼を一撃のもとに仕留めたさまの見事だったこと! 陽光に照らされて返り血がルビーのように輝き、精悍な顔を華やかに彩った。  あれから、わずか三ヶ月。  風邪さえ滅多にひかないのが自慢だったラウルが、現在(いま)では歩くことすらままならない。代われるものなら、代わってあげたい。    ところでカイルは五十頭の羊を保有していた。全頭まとめて買い取ってくれるよう村長に掛け合い、代金を旅費に充ててもらう形に手配して、ラウルの母親を首都に呼び寄せた。  それは先週の出来事で、遠路はるばるやってきた母親はおろおろしどおしだった。惣領息子がいつ退院できるか定かではない? 冬支度に追われる時期なのに?  懇切丁寧な説明を受けても理解しがたい様子で、 「ラウル、新しいセーターを編んで、あんたが帰ってくるのを待っているからね」  そう言い置いて蹌踉(そうろう)と帰途についた。  羊飼いが羊を手放すのは誇りを捨てるも同然だ、とラウルにはこっぴどく叱られたがカイルはへいちゃらだった。後顧の憂いというやつがなくなって、逆にさっぱりした。ラウルのそばにいること以上に大切なことなど、何もない──。 「おい、こいつの下ごしらえもしとけ」  海老が、ぎっしりと詰まったコンテナで背中をこづかれた。カイルは黙々と殻をむき、背ワタをとる。下働きをいびるしか能がない(やから)など、相手にするだけ無駄だ。  それより、もうすぐ初めての給料日だ。村にいたころのラウルは朝から晩まで働きづめで、入院生活は退屈で仕方がない様子だ。  無聊(ぶりょう)をかこつぶんも苛々しがちな彼に、何か暇つぶしになるものを贈ろう。  そういえば分校に通っていたころは図工が得意だったから、絵の道具をあげれば喜んでもらえるかもしれない。名案だ、趣味を持つのはいいことだ。

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