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第31話

 この夜は〝恋〟で頭が一杯だったために注意を怠った。機械的にそのへんの埃を払っていると、けたたましい音が静寂を破った。  浴室にすっ飛んでいくとシャワーヘッドが跳ね回り、もうもうと湯気が立ち込めるなかで、ラウルが洗い場にうずくまっている。 「怪我はない? 大丈夫?」 「心配するな、なんでもない」    ラウルは、彼を抱き起こしにかかる手を拒んでいったん腹這いになると、腕立て伏せをする要領で躰を起こした。ドジった、と照れ笑いを浮かべて足を投げ出したが、その足は若木の幹を髣髴とさせる榛色(はしばみいろ)だ。 「樹皮症の野郎、好き放題に俺の躰をがっつきやがる。どうだ、気味が悪い眺めだろう。ざっくばらんにいこうぜ」  カイルは大きく首を横に振り、すかさず引き倒されて洗い場に転がった。ごろり、と全身で腹に乗ってこられて胃袋がひしゃげる。 「嘘つきが。モニを見てみろ、徹底的に俺を避けて、あれはあれで天晴れだ」  首に手がかかり、やんわりと絞めてくる。 「嘘じゃない……病気にかかる前もかかったあともラウルはラウルで中身は変わらない」  いい子ちゃんぶって、きれい事を並べる根性が気に食わない。ラウルはそう言いたげに手に力を込めてきたが、ふいと視線を逸らして横にずれた。  カイルは頭をもたげ、その拍子に排水口の蓋に引っかかっていた枝の切れ端のようなものが髪にからみついてきた。  朝、雫の一滴もふき残しがないほど浴室を磨きたてたのに。首をかしげながら枝のようなものをつまみ取ると、 「そいつは元は足の小指だ。さっき折れた」  事もなげに言われて息を吞む。ラウルは起き抜けにベッドの中で靴下を履くのを習慣にしていて、素足を目の当たりにするのは久しぶりのことだ。  想像以上に悪化していた。  足首から先はほとんど原形を留めておらず、厚手の板のような形状と化す、その経過をたどりつつあった。 「この調子だと俺は助かりっこない。カイル、頼みがある。俺が完全に樹の化け物になっちまったら、草原の湖のそばに植えて、ときどき肥料と水をやってくれ」  乾いた笑い声にエコーがかかった。  蝶は幼虫の時代と外見がまったく異なる。同様にラウルの姿形も変わり果ててしまうなんて、そんな未来はこないと信じたいし、来てもらっては困る。  カイルは膝をにじらせると、水滴がきらめく背中に手を当てた。やわらかいし温かい。ラウルは、れっきとした人間だ。  出ていけよがしに後ろ手に押しやられた。再び突きのけられる前に、肩から胸に回した腕を結び合わせた。 「手をどけろ。おまえたち姉弟がそっくりなせいで、モニにくっつかれているみたいに錯覚してドキッとする」    むっとする反面、胸の小鳥がしょんぼりと羽をたたむ。  ラウルのことはほったらかしで遊び歩いてばかりの薄情者のことが、まだ好きなのか。訊いてみたい、だが藪蛇になるのが怖い。カイルは裸の肩口に額をすりつけて、嫌々をした。  肘鉄砲を食らっても、吸盤で密着しているように抱きついて離れない。  そこで濡れた肌に消え残る石鹸の泡が、ある種の悪戯をした。 「しつこいぞ、いいかげんにしろ」  ラウルが猛然と身をよじったはずみに腕がほどけた。そのまま鳩尾の線に沿ってすべり落ちていき、指先が棒状のものをかすめたせつな、 「……っ」  呻き声がくぐもった。ラウルはやはり転んださいに、どこか痛めたのかもしれない。即座に膝立ちになり、肩越しに目を走らせると、こんな光景に心臓が跳ねた。  湿ってよじれた茂みの中心で、ペニスが形を変えはじめている。  諸共に凍りついた。殊にカイルは穂先に指を添えている、という状態で固まった。  こういう場合は、さりげなく立ち去るのが礼儀だ。頭ではわかっていても、下手に動くとペニスに無用の刺激を与えてしまうことになりかねない。  おかげで、身動きがとれない。

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