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第50話

    第9章 繁茂  大理石の円柱に〝中央図書館〟と彫りつけられている建物に一歩入ったとたん、足がすくんだ。  カイルは、ぽかんと口を開けて館内を見回した。あちらを向いてもこちらも向いても本、また本だ。  もしかすると羊の群れが一年間に食べる草の総量より厖大(ぼうだい)な数の書物が、棚を埋め尽くしているのかもしれない。  高窓から陽光がうらうらと射し込み、床に十文字の影を投げかける。螺旋階段をのぼりつめた先、吹き抜けの回廊に沿って閲覧用の机が並び、ほとんどの席がふさがっている。微かにかび臭い空気が澱み、音という音は分厚い壁に吸い込まれるようだ。  図書館は知の殿堂で、自分のように無教養な人間には縁のない場所だ、と頭から決めつけていた。  誰でも利用できると聞いて覗いてみたくなった。休日にさっそく足を運んできたものの、回れ右をしたくなる。  伏し目がちに通路を進むにつれて、背中が丸まっていく。  おっかなびっくり単行本を書棚から抜き取り、ぱらぱらとめくった。  あらすじによると、近未来を舞台にした翻訳小説らしいが、まとまった文章を読むことじたい学校を卒業して以来のことで、内容はちっとも頭に入ってこない。  村の分校にも一応、図書室はあった。ただし蔵書は子ども向けの図鑑と児童文学全集くらいのもので、おまけに埃をかぶっていた。  草原のどこかに落とした水筒を探し当てるに等しくて、途方に暮れた。恥を忍んで、司書に学術書のコーナーを訊ねる。  司書が顔を赤らめたのは、愁いをふくんだ見目麗しい青年に話しかけられたためだ。だが当の本人は、場違いなところに来てしまった、という気がして仕方がなくて、うつむきどおしだった。  ともあれ(くだん)のコーナーに席を移して、植物について著した書物を片っ端から(ひもと)く。専門用語に目がちかちかしてくるのを我慢して読みふけったすえに、瞼を揉んだ。  骨折り損のくたびれもうけ、と苦いため息をつく。  こうすれば維管束は死滅するという記述がある文献、いわば金鉱を掘り当てられるかもしれない、と淡い期待を抱いていた自分が世界一の大馬鹿野郎に思える。  市村たち頭脳集団をさしおいて、一介の羊飼いごときに解決の糸口を見つけられっこないのに、おめでたいにも程がある。  ラウルの両足は膝から下が癒着してしまい、日増しに茶色みを帯びて幹らしさが加わっていく。樹皮化が胸部におよびつつある一方で、食欲は衰えず、脈拍も正常だ。  医学の常識を覆すラウルを診るうえで、今後は何に重きを置くべきなのか。それは難しい問題で、市村以下担当医の間でも意見が分かれているらしい。  ある医師曰く、 「これまでの経過を踏まえて、水耕栽培もしくは土耕栽培に類する生活環境を整える時期に差しかかっているのでは」。    別の医師曰く、 「外科的な処置を行うのに並行して、精神安定剤を処方するなどメンタルな面で、よりいっそうのバックアップ態勢を整えるのが望ましい」。  ちなみに市村は後者の急先鋒だ。侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をかさねたすえに精神科医が随時、ラウルと面談するという方向で話がまとまった。  市村を介してこのあたりの経緯を知って以来、焦燥感に胸を炙られっぱなしだ。ごちゃごちゃぬかしている暇があるなら治療法を見つけてくれ、と声を大にして言いたい。  もうすぐ四月も終わる。  来月の今ごろは、維管束がもっと勢力を伸ばしていないとも限らないのだから。    ラウルのために、退屈をまぎらわせてくれそうな娯楽小説を数冊、司書にえりすぐってもらって図書館をあとにした。信号を渡ってすぐそこがバス停だが、昼時とあって通りはごった返している。  雑踏をすり抜けて歩くのはまだ慣れない。ビルの外壁にへばりついて人波が途切れるのを待っている間に、たてつづけに咳が出た。  喉が、いがらっぽい。首都の春の空は、常に黄色みがかっている。黄砂は、草原の周りに広がる砂漠から飛んでくる。どうせなら故郷の便りも届けてくれればいいのに、と思う。  ラウルの母親は筆不精で、そこに持ってきて手紙は行商人に(ことづ)けて投函してもらう、という段階を踏む必要がある。だから月に一通、手紙がくれば御の字だ。  ホームシックという語句と、その意味を市村から教わった。ラウルの気分にむらがある原因の何割かは、ホームシックによるものに違いない。  だいたいカーテンを閉め切った部屋にこもって日がな一日絵を描いてすごしているから、なおさらふさぎの虫にとり憑かれてしまうのだ。

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