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第72話

 年長者の沽券にかかわる、と言いたげだ。主導権は渡さない、という体でラウルは頭を打ち振る。唇を真一文字に結んで抗う。  それでも舌で何度もノックすると、ほだされたとみえて結び目に隙間が生じ、すかさずこじ開けた。だが、第二の関門にあたる歯列は依然として(とざ)されている。  後生だから、と唇をやんわりと咬む。根負けしたふうに迎え入れてくれるが早いか、舌を差し入れた  歯茎の起伏から上顎のくぼみに至るまで、雄を口で慈しんだときと同様に濃やかにまさぐる。俺の番だ、と主張するように舌がまといついてくれば、一週間ぶりに食べ物にありついたかのごとく貪った。  唇がふやけてしまうほどに睦み合う。ひとつの型から鋳造された(うつわ)のように、互いのそれにしっとりと馴染んでも、飢えが満たされるには程遠いのだが。 「おれ、舌がだるい。根性なしだ」 「だったら、おとなしく可愛がられておけ」  カイルはうなずき、ラウルの隣に腹這いになった。進んで口を開くと、ねじ切らんばかりに舌にかじりつかれた。  樹皮状のものに覆われた胴体は原木さながらざらつき、ガウンに隔てられていてさえ一種独特の感触が伝わってくる。  しかし仮にラウルの姿態がぐにゃぐにゃの軟体動物もどきに変じても、カイルはひたむきに彼を恋い慕ったに違いない。  ラウルはラウル、おれだけのラウル。心の中で唱えるたびに、愛しいという種類の花が色とりどりに咲きこぼれるようだ。  (ほしいまま)にふるまう舌を夢心地でもてなしているさなか、少し残念に思った。  おれの舌の表面に小さな手がびっしりと生えていれば、ラウルのそれを隅々まで撫でて返して、もっと喜びを分かち合えるのに。  まろやかさを増す吐息は、絆が強まりゆくことを表す(しるし)。  雷鳴が轟き、稲光が窓の外を青白く染め替えても、現在(いま)ふたりの目に映るものは互いの姿のみ、聞こえるものは互いの声のみだった。 「……駄目だ、舌が攣りそう」 「しょうがないな。じゃあ、少し休むか」  と、ひと息入れるはしから禁断症状に陥り、磁力が働いているように唇が吸い寄せられていく。おかげで、これが二万八千八百回のキスのうちの何回目にあたるのか、いちいち数えている暇なんかあるわけがない。  十回? それとも百回? 腫れぼったい唇は、幸せの象徴だ。  ただし誤算があった。上手に息継ぎができるようになるのと比例して、肌が恐ろしく敏感になっていき、くちゅり、と唇が湿った音を立てる程度の刺激にも腰が揺らめく。  乳首が尖り、Tシャツに可憐な影が映る。  ペニスが(めぐ)む。カイルは矢も楯もたまらずラウルに馬乗りになると、縦半分に切った樽を思わせる形状の腹部に股間をすりつけていた。 「おまえの可愛いやつが、ぴょこんとなりしだいロボットアームでしごいてやるのを目標に、あしたからまた特訓だ。今日のところは辛抱しろ、おあずけだ」    剽げた口ぶりの底に哀切な響きがひそむ。錆びついた可動橋のように軋めきながら、腹部がわずかに持ちあがった。  カイルはしゅんとなり、 「ごめん、おれ、スケベだ……」  尻でいざってベッドの足下側にずれると、膝を抱えて縮こまった。  (いかずち)が天地をどよもし、大粒の雨が窓ガラスをななめに走る。毎年、何頭かの羊が草原の真ん中で雷に打たれて黒焦げの(むくろ)をさらしたものだ。  カイルは、つとにじんだ涙を手の甲でぬぐった。病室は清潔で安全で、だがラウルにとっては牢獄に等しい場所に違いない。  なあ、と呼びかけられて笑顔をこしらえる。すがりつくような眼差しを向けてくる、らしくない様子に心臓が跳ねた。 「俺の躰は、まだやわらかくて温かいか」 「当たり前に決まってる」  嘘も方便、と一笑に付したものの大根役者以下の棒読みで答えるようでは台なしだ。  やっぱりな、とラウルはため息交じりに呟くと、天井を見上げた。

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